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曽於を私は會が本来の意味だと思っているのが「ソ」には資源の乏しい国とか、不毛の地や人間を意味するとか諸説があるが、「大壺」や木の実を保存食に変えるための灰汁抜きの器具である「蒸し器」の存在を象徴的に国名へ使用したと言う説も捨てがたい。
つまり、「記・紀」に言う天孫降臨の神話は、事実ありうる話なのである。では、「アマ」(天・海)からやってきたのは、どこからなのでしょうか。私はそれは海からやって来たと思います。具体的に言えば、それは「呉」なのではあないでしょうか。呉族は江南の地から亡命した(BC743年の越との敗戦)支配者が黒潮に乗ってやって来たとは考えられないでしょうか。

滝川政次郎は「猪甘部考」で<漢の武帝が南越を征したあと、飽くなき誅求をのがれて百越(呉・越など)の民は、黒潮に乗って九州西海岸の南に北へ渡って来た。黒潮は屋久島の沖で、二つに分かれ、その一つが北上して対馬海峡に向かっているので、南北九州に着くのはほとんど同時である。・・・・>
また、「晋書」や「梁書」によると、倭国から朝貢に来た太夫(官僚)は自らを「呉」の太伯の末裔と名乗っていたり、南北朝の禅師・朱子学者、円月が自らの「日本紀」の中で<神武天皇は呉の泰伯の後裔である>と述べている。

また、文化的にも末子相続や文身・鵜飼の習俗・道教の浸透などを考えると、私はニニギ命は江南からやって来た「呉族}の首長の可能性が濃いと思わざるを得ません。
その軍事先導役である天津久米命は笠沙に居住し、隼人との血縁を果たしたと言う仮説も、強ち、可能性のない話だとは思いません。加世田博物館に閲覧されている「久米の土器片」はその証左の重要な一つの証拠でありましょう。
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