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日本の古代・上野武さん<倭人の起源と呉の太伯伝承>より

*円月は禅宗・大慧派で朱子学者である。

*ポルトガルの宣教師・ジョアン・ロドリゲス(1561~1634)の「日本教会史」より

江南から最初の移住者が来たのであって、日本の国王たちはその係属を引く。
この泰伯の二番目の弟の子孫の幾人かが、東方の海に船出して、日本に移り住んだと言われている。そして、その昔の一族とその子孫は姫氏と呼ばれ、シナ人は日本姫氏国と呼んだのであり、また、この李歴が兄の死にあって、頭髪と元結を切ったのにならって、日本人は元結を始めた。又、天草の領主・天草鎮種は、漢王朝の子孫で、中国の親類と文交している、と言う。

*不干斎ハビアン(1565~1631)禅宗からキリスト教イエズス会へ改宗した。「妙貞問答」より。

かの泰伯の子孫が日本へ渡り来たことは間違いないことですから、その周の氏である姫の字を以て、この国を姫氏国と言ったのです。日本人が髪を結ねる理由も泰伯から始まった、と言われている。と、述べている。

*林羅山の子・鵞峰「擬対策文」より。

呉の地は広大で、いまの寧波も又、その地にある。唐の時代には、明州と言い、古の遣唐使は皆、その岸に至り、かの地に入った。明州は筑紫を去ること遠くない。順風で波が穏やかなら四・五日で至る。と、言う。

*国学者・鶴峰戌申(1788~1859)「襲国偽偕考」より。

太伯の後裔による熊襲王朝の存在を主張した。呉王・夫差の末裔が九州に流れてき、熊襲国を建てた。その国は専ら呉の事物を伝承し、文字を始め諸々の器財までも呉のさまであった。と、述べている。
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