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2012.01.13 年頭に思う
今年になって、なぜ私が古代史に魅かれるのか考えてみた。
よく、日本の社会構造は社会主義的だと言われる。官僚主義がそれを色濃くしているなのそうだ。
「曖昧さ」とか「和」の精神がそうさせている。確かに、日本人には「お上」任せな愚直な所がある。この「和」と「お上任せ」はどこから来たのだろうか。

「和」と言って、思い起こさせるのは、あの有名な聖徳太子の十七条の憲法の「和をもって貴しとする」とする教えであるが、あの憲法には多分に、仏教の影響がある。。
太子は中国の皇帝に対して「日出処の天子、日没する処の天子・・・・」へと問いかけている。太子は「倭」を「和」即ち「大和」と意識改革をしたのであろう「

それが日本人の「和」の根源だと唱える人が多いい。しかし、そうだろうか。私は日本人の意識の底には多神教(アニミズム)が横たわっているのではないかと、考えている。

日本人の基底思想は一万年にも及ぶ文化を保ち続けた縄文社会が創り上げたのではないかと思わざるを得ない。
ユングの集合的無意識や遺伝工学の言うDNA形成を考えると、環境に於ける意識の対応の繰り返しが行われることによって、人の意識が変えられ、それが人格形成を創って、一つの種族を生み出した。

縄文時代の遺跡の一つである三内丸山遺跡は大きな共同作業所(二百人ほど入れる)で作業が行われ、祭祀場にも使われた形跡があり、ゴミ捨て場から出土した木の実や穀物、魚や獣の骨を観察すると、明らかに分業が進み、翡翠などはそこで祭祀者が人々を主導していた形跡が窺われる。
これは仮説ではあるが、狩猟や建設は男が、植物採取や栽培作業は女が行い、経験や霊感の強い老人が首長となって種族を統率すると言った社会主義に近い社会があったのではないかと、私は思っている。

私の意識の底には、その融和精神が根ずいていて、たまたま、眠っていた古代史への志向を引き出したのかもしれない。そう考えたのは今年の初頭なので、それが正しいのかどうかは考察の余地を残すが、今年はその日本教に近い思想を掘り起こして見たいとも思う。
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