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NHKの「日本人と食について」を聞いて大変興味をそそられた。
太古から日本人の食は「医食同源」の思想が四川省辺りからの影響で、生活に取り入れられていたと説いていますが、私はもう少し古く、縄文時代から日本人の「食」は山林の堅果植物と根菜が主食で、それに小動物や魚貝類を補って生活していたと考えています。

そう言う意味では日本列島は資源豊かな国土で、縄文社会主義の思想の元では豊かな社会生活を営んでいたと考えます。私は谷川健一教授の「意識の連続性」にいたく刺激され、縄文時代の気候と風土によって、日本人の性格決定がされたという主張は、正しい思想だと支持するものですが、小泉先生の「民族の遺伝子・炭水化物体質」が日本人の基礎体質と思想の根源であるという教えもまた素晴らしい見解だと思います。

小泉先生は米国のアングロサクソン的体質と日本人の繊維質を中心に摂取する生活態度は、相入れないものであると唱えます。数万年培ってきた食文化は、数年のパンや肉・牛乳文化にはその体質や志向が、目には見えないが追いついていかないと言われます。

食を取るために、縄文人は山を計画的に整備しています。「サンカ」や「マタギ」も山を大切に扱っていました。三内丸山遺跡には栗を計画栽培していて、山を手入れしています。上野原遺跡も堅果植物を摂取するために、計画、貯蔵をしているのです。つまり、生きている山を育てながら、共存しているのです。しかし、今、欧米化した食生活は山を荒して、洪水を呼んでしまったのです。「食」の欧米化は私達が営々と営んだ日本人の根源的な生活や体格それに伴う思考法を崩しにかかっているのです。これは日本と言う国を衰退させるも元になる様な気がします。私は欧米化を排除しろ言っているのではないのです。私達が培ってきた風土と習慣を踏まえて、欧米に習うべきだといっているのです。日本があって他国があるのです。そこを間違うと大変な異土異民になってしまうのです。自主性こそ大切な志向だと言えます。

「和食」こそ、たとえば米や麦そして味噌汁を肉やパン牛乳に変えたとしても、腸の長い日本人の体内メカニズムはそれに対応することが大変難しく、結局はそのことがどこかに歪をもたらすと小泉先生は言います。

私は戦後史を学んでいて、マッカサ~が日本人に徹底的にアングロサクソンの民主主義を叩き込むと叫んだ時、この民族は本当に人間を理解していないと思いました。つまり自分勝手なのです。その時は「意識の連続性」に出会っていなかったので、ただ漠然と(私は理性的な人間と言うより直感的な人間なので)これは間違いであると感じたのです。今思えば、あの占領は思想的侵略だと確信があります。

私は極端な民族主義者ではありません。ですが、人種にはそこに住み着いた環境があります。自然と人の調和はその人種の血と涙の自然との格闘で築き上げてきたものです。(古事記でイザナミが黄泉つへぐい、つまり黄泉の食べ物を食べてしまったことで現世に帰れないと言うくだりがありますが、それは大変深い意味を持っていると思います)それを無視して一方的な見方で変革すればまた、弊害も必ず現れます。私は去年の大震災で国民(政府でも官僚でのありません)の日本人らしい連帯意識に感動しました。あれこそが日本人の持つDNAだと感じたのです。本来なら、あの意識を持続されるべきだったのです。しかし、数ヶ月過ぎるとそれは沈下してしまいました。
この潔さは日本人の持つ粘着力とは本来の粘着力には相反するものです。隠すことが美徳だと言う悪徳は反省すべきです。

私は小泉先生(醗酵仮面と言う字<あざな>なのだそうです)の言う「民族の遺伝子」がもたらす有益な性格を今は真剣に考える時期だと、つくずく思った次第です。私達は「腸の長い」モンゴロイドなのです。
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