上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
隼人を追って、南方諸島を調べていて、種子島の大園遺跡から東北地方の縄文・晩期の大洞(おおぼら)式土器が発見されたと言う。上村俊雄は大洞式土器が「二千数年前に海を越えて、薩南諸島に齎されても不思議はない」と述べている。

常識的に言えば、種子島から東北のどこかの遺跡に南島諸島の土器が出土してもありえるとは思う。それは対馬
海流が齎す仕業だからである。しかし、その逆は難しい。北から流れる海流は東北から九州の南端までは流れてはいない。考えられることは、対馬海流の逆流や沿岸流を利用するより方法がないのです。そのことは、文字で書くほど簡単ではないでしょう。

もし、この事実が本当なら、縄文時代の交流や交易がかなり頻繁に行われていたことになる。すると今まで私が考えていた縄文の航海や文化の交流が、比較的容易に行われていたことにもなる。

南方諸島と南九州の交流等は頻繁であったばかりではなく、南九州と大和の航海や交流が相互に行われていた可能性も大きくなる。塩土老爺の情報者としての存在はかなり現実的になって、神武東征の可能性も史実として捕えやすくなった。

今日、中野中央図書館からその記載の正確さを確かめるため、7冊ほどの資料を借り受け確かめることにした。暫らくは、そのために家篭りになるだろう。

天孫降臨から安曇氏と久米氏、會族と隼人の関係を明確にしてみようと思う。
スポンサーサイト
Secret

TrackBackURL
→http://nigihayahi91.blog65.fc2.com/tb.php/294-b9c30cd0
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。