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私は今、鹿児島・国分市・上野原遺跡を読み終わったところです。
縄文草創期(BC9000年頃)の独自な文化遺跡で、三回の大噴火、薩摩、鬼界カルデラ、桜島の大噴火と致命的な打撃に遇いながら、まるで不死鳥のように蘇えり(黄泉返り)、植物採集と漁労、狩猟文化を花咲かせます。
つまり、襲(會)の地に根ずいた高度で、力強い先住民の生活態度がヒシヒシと伝わってきます。

私は、数年前、東北・三内丸山遺跡(BC5500年)に」感じた近代に通じる縄文人の精神世界を、再び感じました。今まで、縄文期は東の地域が進んでいて、南はそれより遅れているというのが定説でした。

しかし、それは大いなる誤解で、襲(會)の地でも縄文文化は着実に根ずいていたのです。

會の地の「村」の結束力と自然の猛威にたじろがずに立ち向かう強靭さ、丸木舟で他国へ交易。交流する先進性を知るにつけ、今までは識者が野蛮となずけた南九州が、実は、かなりの高度な文化を基盤として、生きているののです。私を益々、薩摩・日向に釘ずけになって行きます。

勿論、北九州が南に劣っているわけでもないのですが、明らかにその文化の質に差異が見られます。
それは、多分、北と南に立ち憚る国見山系、霧島山系、そして九州山系の存在だと考察します。険しい山並みが人種の交流を拒んでいるかのように思われます。

結局、上野原遺跡に生きた會族(熊襲族)や笠沙(野間半島・加世田市)の吾田族<ここはかこいノ原遺跡があります)、つまり、神話的に言えば、ニニギ命や吾田鹿葦津姫(コノハナヤサクヤ姫)に象徴される物語の底では、上野原やかこいノ原文化が息ずいているように思われ、私が、ひょんな事から始めた古代史の追求が史実化しそうな気配です。

こうなれば、この古代への旅を続けなければならないような気がします。大変に興味ある、しかし、困難な旅ですが手甲・脚半で旅立とうと思います。
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