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私達は今まで、豊かになりすぎて、他人には無関心になりすぎている。
人が明らかに間違っていても、他人がやる事だと見過ごしている。自らが、嫌な思いをしてもでも「諌める」義務はないと、高を括って無関心を装う。

今日、朝のラジオ番組で、玉木まさゆき氏が政府の委員会で議事録に署名を要求したら、次回から参加を拒否されたと言うのを聞いた。
そこでは、大手新聞やTVの人間が参加していたが、そのことに反応をしなかったと言う。

私はそれを聞いていて、身の凍る思いがした。
なぜか、音もなく巨像が倒れて行く様子を思い描いていた。大きな組織と言うものは、伝達が緩慢で直ぐに全身に行き届かない。各所、各所で確実に伝達を機能させ、確認して行かなくては、全身が機能してゆかないものである。それを怠ると、知らず知らずに各所に緩みが生じ、気がついた時には収拾がつかなくなってしまう。
そういう緊張感は重要な事項を決めるときには絶対に必要なことで、それを怠ると、その会議は確実に形骸化し、崩壊してよく。

それを見守って行くのが新聞や識者の大事な役目であり、国民の目なのである。
今日、玉木発言を聞いていて、その原則と言う「箍(たが)」が完全に緩んでいることが解り、そのことは一市民として、必ず言っておかなければならないと思った。

この精神の緩みは、報道機関だけの責任といえない。これは我々の責任でもある。考えてみれば、崩壊は自らの中にあるのかもしれないといえる。なぜか、数年前、大きなビルが音もなく崩れ落ちて行く映像を思い描いていた。
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