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私はもう、どの位の古代史に関する書籍を読んだろうか。かなりの量である。

読んだ感想を言えば、悪し様に言ったり、無視をしたりするところに真実があるような気がしてならない。
例えば、「古事記」や「日本書紀」で<襲>とか<空国(むなくに)>と述べる。つまり、たいした国ではないと言うことだろう。「熊襲」なぞとるにたらない蛮族だろう。それなのに大和からわざわざ蛮国へ軍隊を率いて遠征をすることはないと、常識的に思う。リスクが多すぎるではないか。

私は「襲」は「會」に比定するのですが、大体の学者は「襲」を明記する。そうした表現を見るにつけ、南九州は重要な何かを秘めていると想像する。つまり本質的な問題を抱えていると言うことである。学者の学派があって思い切った事がいえないのであろうが、そのことがものの本質の解明を遅らせているのを解るべきである。古代の書籍を読めば読むほどそう思う。

「會(熊襲)」の地である大隈周辺には上野原遺跡がある。ここではBC9000年の縄文・早期のもので、そこから集石遺構や連結坑(蒸し器と燻製器)それに道筋が湧き水場所に通じ、52基の竪穴住居が建てられている。そのほか、貝殻文円筒平底土器・耳飾り・土偶・異型石器など各地の縄文遺跡に先駆けて高度の文化遺跡である。
この地は三回の大噴火に見舞われていて、それにめげずに再生を繰り返している。

會族は生命力豊かな民族で、かなりの知恵を持った民族である。「記・紀」から受ける印象とは違って優秀な地方豪族の印象が私にはある。
八世紀に大和王権は「熊襲」征伐にてこずっているのは、「會族」が優秀な証左である。

初期南九州系王朝はかなりの勢力があったと私は推察している。ただ、八世紀にはその権勢は、結果として衰退しており、その史実が不明であるが、そのことは今後の課題であろう。
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