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上野原遺跡を調べていて、縄文時代が舟でかなりの距離を移動しているのがわかる。5000キロは航行していただろう。

彼等は星座や星、太陽、月などを頼りに海図を使用していたし、雲と風、海鳥、潮の流れ、魚の種類、漂流物、島の山並みあらゆる現象を心得ていて緻密に航行の行方や気象の状況を把握していた。多分、間違って漂流してもその経験は確実に記憶して航行に反映しただろう。その吸収力は現代人の甘さはない。彼等は命を賭けた真剣な行為であったろう。

そこで考えられることは我々が考えている以上に高度の知識を備えていただろうし、数倍の決断力を有していたと言える。だから、上野原遺跡やかこいノ原遺跡が南の種子島から沖縄までしきりに交流をしていたし、北は東北まで東は四国や近畿、関東まで九州産の土器が出土し、黒曜石や翡翠は各地で見つかっているのは、彼等の勇気と経験、高度の判断力の賜物であろう。

私は神武東征がそうした海人族の情報収集力が関与していたと確信しているし、その象徴として塩土老爺が表現されていたのは少しも不思議ではない彼等は少なくとも近畿や少なくとも関東・東北辺りまで情報は収集していたであろう。その結果が群雄割拠する九州より近畿ののほうが将来性があることを、戦略的、経済的に有益と考えた結果だろう。
縄文人恐るべしである。。
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