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2012.03.09 日本の名称
日本には多くの名称がある。
倭・大和・秋津島(秋津はトンボのことです)・扶桑(桑の神樹のことで太陽樹のこと)そして日本、多分、日下(くさか)・日の本もそれに加えていいと思います。

私はその延長で、扶桑を調べていたのですが、これは江南・長江の上流の国・「蜀」にたどり着いたわけです。
扶桑とは、太陽樹が始源でありましょう。「蜀」は日照時間の短い国で、<蜀犬、吠日・・・蜀犬、日に吠える>の諺のようにいつもこの地は曇りがちだそうです。
曇りの日の合間に、雲の間から太陽が顔を出すと、犬が驚き吠えだすと言うのがその諺の意味です。

それでは何故「蜀」が桑との関わり生じたのかと言うと、最近、蜀の三星堆遺跡から「蜀」の始祖神である「蚕叢(さんそう)」神がそのいわれでしょう。
「蚕叢」の相貌はまるで蟹のように目玉が飛び出しています。また、「古代蜀」には仮面があり、その仮面も眼が出ており、「蚕叢」の化身で<龍>をも現していたらしい。その特徴から「山海経(せんがいきょう)」によると「燭龍(しょくりゅう)」と言う神に近かった。

「燭龍」とは、昼夜の自然界の運行を自在に操ることができて、「直目(縦眼…蟹目)」を持ち、人の顔と赤い蛇身を持つ妖怪である。「燭龍」は、また火を咥えて、天下を照らすとも言われている。つまり、「燭龍」は<火>を司どる「蜀」の龍と似るとも言える。
それは、昼夜を操り、天下に光明を放つと言う現象を考えると、太陽の動きに関わることになり、扶桑信仰と表裏の関係にある。
その他に、「山海経」や「淮南子」などには、崑崙信仰や西王母伝説なども三星堆文化の産物であった可能性が高いと考えられる。

日本の象徴である「扶桑」はその始原はどうやら「古代蜀」にあったようである。蜀は「倭」の領域で大和が中国から「倭」と呼ばれ、江南の諸民族もまた黄河流域の漢人から、「倭」と呼ばれたことから、大和と「蜀」や「中国・江南の倭」との結びつきはかなり深い関係があるとも言える。



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