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高校野球の選抜戦が始まった。その選手宣誓に私は怒りを覚えた。

あれは高校球児の話す域を明らかに超えている。そこには高校生の生活より醜い大人の政治の息使いを感じるからである。高校生の野球と高校生活に関する息使いを、私はあの宣誓に感じられない。本当なら、高校生活と震災と震災に遭われた人々との挿話を語ることが必要だったはずである。あの宣誓は、心のねじれた私に言わせれば大人が関与した宣誓なような気がする。自主性が感じられないのである。

同じ時期に、民主党の議員総会があって、そこで消費税の論議が成されている。

そこで執行部の文言は「社会補償と税の一体化」と言う表現を使っている。それは野田氏とその取り巻きの政治家の言葉だろうか。私にはその言葉には、官僚、いや財務省の口先が思い浮んでくる。

民主党は政治主導を旗印を武器に出発したのではなかったろうか。あのマニュフェストは具体的には齟齬があったが、あの精神だけは理解できた。大事なのは、精神の継続なのだ。今の、野田氏とそれを取り巻く輩は、その基本をかなぐり捨てた官僚従属集団なのである。

誤解なきように様に言っておきたいのは、私は政治家の失敗を、国民が責任を取るために消費税で補うのは、仕方がないとは思っている。しかし、それには血の滲むような制度改革(制度改革や官僚組織の改革、無駄な費用の削減など)が必要であるのだ。その努力を放棄して消費税を上げるのは政治家の行為ではなく、単なる官僚追従でしかない。

私は天皇陛下が自らの病状の悪さを押して3・11の追悼式にご参列した誠意に、天皇としての自主性を感じ、頭が下がる思いで、感激したことを思い出す。多分、医師団は追悼式の参加を進言しなかっただろうと推測している。医師団は安静を進言したはずである。それを押して参列した陛下の行為は、大袈裟に言えば、命を賭けた行為といえる。そこに日本の君主としての誇りを感じるのだ。

私はあの痛々しいお姿を拝見していて、その側で平然としていろ国家元首に落胆せざるを得ない。

多分、今まで自主性を持って行動しているのは、私が知る報道の中では、天皇陛下だけであろう。(勿論、影で必死になって災害と戦っている被災者やボランタリ~の人々が隠れていることは承知しているうえだが、)

今、大事な事は自分の言葉で考え、自分の振る舞いを起こすことである。他人の言葉で操られることは慎むことである。私は高校球児の選手宣誓を聞いていて、そんなことを思った。
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