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言うまでもなく、自分の立場でモノを考えるということが大事なのだが、その根底には自分がそして家族がそれを取り巻く隣人がいるはずである。

取り巻く我々の環境は当然、地(くに、ふるさと)が有るのである。そこが発想の原点であるはずである。
つまり、そこを原点にした自主性こそ大切な哲学なのではないでしょうか。

だから、私は恒に自主性を大切にしてきた。

国の政治が消費税引き上げに命を賭けると言う指導者、しかも嘗て、自分の主張と異なる政策に命を賭けるという政治家を私は信用しない。
今、大震災からの復興や原発の対策、経済状況の衰退などなさねばならない政策があるはずなのに、明らかに財務省の尻拭いのために奔走する傀儡はまるで、旧自民党を再現させる官僚主導主義(私は今、予言する現民主党の執行部は連立する。どちらも財務省の傀儡・・・自主性喪失の政治家だからである)の復活に他ならない。
国難はその今根本を命を賭けて行わなければ成らないのだが、その覚悟は野田政権にはない。簡単である。自主性が賭けているからである。自分の言葉を持たないからその全体が見えないのである。(再度言わせて貰うと、私は官僚が犯した失敗の尻拭いのためだが、消費税を引き上げるのは仕方がない・・・それも我々の責任なのだから)

日本は大国ではない。美しい国土と太古から築き上げてきた連帯意識を持った家族主義に近い国なのである。アングロサクソンから見れば幼い哲学というだろうが、この弁証主義的な思想は遙かに先進的な考え方である。私はこの太古からの哲学を誇りたい。
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