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嘗て、述べたことがあるが、この国は真実より邪まな正義がまかり通る。

米国の属国がと言われて久しいが、権力の亡者と虎の威をかる狐が多すぎる。ある左翼崩れは臆病者で自分の信念を容易く変えてしまう。松下政経塾だか整形塾だか知らないが、ボンボンの観念政治家が日本をダメにしている。今の民主党の主軸は薄っぺらい政治塾の出身者で占められている。そして共通しているのは米国の追従者だけである。国益を考えると米国国益をはみ出すのは自然の成り行きなのに、日本の国益と言う視点ではみ出す政治家は皆無である。腹が据わった男がいないのだ。まあ、国民の民意は低いのだから仕方がないと言えば仕方がないのだが、最低限の正義は貫くべきであろう。

カミュの異邦人の主人公・ムルソ~は太陽が眩しいと言ってアルジェリア人を殺してしまう。母が死に葬式の後で、恋人と喜劇映画を見に行って罪を深くする。
不条理といえば簡単だが、人を裁く罪をこの実存主義者は語っている。

今度の小澤裁判は私の推測では、有罪の判決が下りると推察する。この裁判は正義の裁判ではなく、薄っぺらい政治権力の裁判である。官僚と米国、経済界の意向を汲んだ司法官僚の裁判なのだ。裁判員裁判は底辺から出てきた発想ではなく、安易な魔女裁判の兆しと言える。

敗戦後、米国は最終的に案件を独裁するように制度を作っている。その残骸がこの裁判員裁判システムなのである。

米国は今でも自分の都合いいように行動する。安住財務大臣がIMFで困窮した日本財政を無視した散財(罪)をしている。あの大国・米国は出資を拒否しているではないか。そんな投資が出来るなら国内の景気対策に出資して欲しい。大災害にはその行動が緩慢なのにこういう時には反応が早い。呆れてしまう。

今、私が重要だと思うのは自主性である。自分の立場でものを考えることの重要さが必要なのである。

私は小澤一郎は法的には無罪だと信じる。日本は法治国家であり、司法は推測や主義で判断するのではなく、客観的な証拠と自白にもとずいて判断して欲しい。
思惑でいえば、倫理的には小澤一郎は難があるとは思っている。しかし、現在では厳しく小澤の政治的行動を監視するより方法はないのだ。
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