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横になって、ふと、三年前「酒呑童子」について調べていたことを思いついた。

ある作家が「酒呑童子」は先住縄文民族の象徴であると、語っていたことが浮かんだのだった。何故であるか判然としないが、熱で浮かされていた時、思い出したのだった」


その科白は「情けなきとよ、客人たち、偽りなしと聞きつるに、鬼に横動なきものを」と、言うものであった。これは、能の「大江山」での科白である。、

酒呑童子は比叡山で修験僧の修行をしていた時、空海によって追い出される。そして生駒山に流れつき、そこに住み着いて、都の若い美人をさらっては酒席にはべらしそれを殺して食らう。

その噂を帝が聞きつけ、源頼光と四天王(渡辺綱、坂田金時、ト部季武<すえたけ>、碓井貞光)を引きつれ、鬼を退治するように申し付ける。
五人は神仏の加護により、(源頼光・藤原保昌は住吉大神、渡辺綱・坂田金時は石清水八幡権現、碓井貞光・ト部李武は熊野権現)修験者に身をやつし、鬼の館へ乗り込む。

鬼は修験者を仲間とはんしん疑いながらも、受け容れる。そこで酒呑童子は自分のおい立ちを語り、安心して閨に女官と共に下がる。その寝息ばな頼光は襲い、首を挙げる。

「情けなきとよ・・・・」はそのときの鬼の科白である。気を許した客人に正直に話したのに、お前達は嘘をついていたのか、鬼は理不尽な行為はしないぞ」と言うものである。

謡曲・大江山は作者が不明で一説には世阿弥の作と言われている。少なくとも観阿弥派の作であることは間違いあるまい。

世阿弥は加茂氏の系列で、伊賀の忍者・服部半蔵と同族の被差別民族だといわれている。一説には秦河勝の末裔とも言われる。又、楠木正成の系列で正成は浮浪の民の総元締めであった。
世阿弥は足利氏の小姓とも言われ、男娼であったと言う。いずれにせよ、「大江山」の作者は鬼に同情的なのが窺える。

鬼は古来、先住民(縄文先住民・土蜘蛛)の象徴とされ、朝廷から迫害を受ける。この構造は「古事記」「日本書紀」に現れる土蜘蛛や隼人・蝦夷の野蛮、虐殺行為に表れ、定着している。「大江山」の作者が朝廷より先住民よりの精神的構造が読み取れるのは、私としては非常に興味を抱かせる。

「観世の系譜」
観世四代目・観阿弥は上嶋影守(伊賀浅宇田<あそう>の領主)の次男。治郎左衛門元就(忍者・服部元就)は三男。

観阿弥の母は河内国玉櫛庄・橘入道正遠(楠木正成の父)の娘である。

楠木正成は南北朝の土豪で浮浪の民(散所非人、散所法師ら)を束ねる散所長者であった。
散所の職業は声聞師と呼ばれる雑芸能で「大乗院寺社雑事記」によれば「陰陽師、金口(かねたたき)、暦星宮、久世舞、盆・彼岸経読み、毘沙門経読み」などの芸能の外「七道者」の支配を司り、その興行権も握っていた。

七道者とは猿楽、歩き白拍子、歩き巫女、金叩き、歩き経読みなどである。

修験道について、宗教学者・五来重はこう規定している。
<修験道は九割の縄文教と一割の道鏡・仏教が習合したものである。

火渡りの摺り足・能のシテの所作、茶道の摺り足、ネプタ祭りのハネトの摺り足は修験者の悪霊払いである。
相撲の四股(シコ)もまた悪霊払いの所作である。



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