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風邪をひいてどう、血迷ったか大江山の鬼について再考を始めた。

謡曲・「大江山」は私が縄文の地母神・土偶を調べていた中で出てきた項目である。

土偶は一万年前に上野原遺跡には出土しており、何らかの祭祀に使用されていた。

土偶は明らかに女性で乳房や妊娠が強調されており、バラバラにして埋められている。このバラバラにして埋めるという行為は「屠殺」といい日本古来から行われていた神事が見出される。
尾張大国魂神社の「屠人放(ほとほり)の神事」である。

一月三日・四日の正月行事として「マナ箸」の神事が伝えられている。この神事は二匹の魚・ボラを料理し、共食するものだが、共食の前に弓射の行事があることから、「弓祭」といっている。なぜ、魚を取って食べる行事に弓射の行事があるのか。昔は、鹿や猪を弓で撃って生贄にし、それを食するのが「マナ箸」の神事だったのであろう。なお、「マナ箸」を使って生贄を食べる前に「屠人放」の神事がある。男が女装して、童子の形の藁人形を入れた桶を頭に載せて浜に行き、「今年の屠人(ほと)は目出度き屠人よ」と言い、藁人形の入った桶を海に流す。この神事を人々は人身御供の形を伝えているが、そのことが「屠人」で解るように「屠」は体をバラバラにして殺すことから、本来、人であったものを人形に代用したものであろう。この「屠人放」(ほとほり)の後に、「マナ箸」神事がある。このことから「箸」は生贄に関わると言えよう。否、これは食人行為の名残りだとも言える。
(「マナ」とは、超常現象を自らの中に取り入れ、自らの力にする行為である。)

こういう儀式は世界各国に見られる。
マヤやニュウギニア・マリンド・アニム族のマヨ祭儀もそれである。ここに紹介しておこう。

マヨ儀式は「殺害者としての父」の登場により最高潮に達する。「殺害者としての父」を演ずる者は、特有の武器を持っている。それは祭儀の用具として使われるが、又、マヨの娘と指定された少女を殺すために使われる。犠牲者の少女、マヨの娘は藪の中に連れて行かれて、祭りに参加した全ての男達によって、生殖行為をされた後に殺される。そして、その体は食べられてしまう。少女の骨はココヤシの木の側に埋められる。そして、少女の血はココヤシの果樹の豊かな実りを齎すとされており、この大規模なマヨの祭りの間に、神話のあらゆる細目が演劇的に語られるのである。

キワイ族の伝承

ソイドと言う男は妻を殺し、その死体をバラバラに切断して、整地した土地にバラ撒く。すると、その土地に食料とするヤム芋、タロイモ、ココヤシ、サゴヤシ、バナナの木が実った。

そして
これらの神話の集大成と思われる学説が、イエゼンの「ハイヌエレ神話」である。古栽培民神話で、少し長くなるが紹介しよう。

アメタと言う男が犬を連れて狩りに出た。犬は森で猪を嗅ぎつけて、追い詰める。猪は池に逃げて溺死する。アメタが死んだ猪を引き上げると、猪の牙にココヤシの実がついていた。アメタはココヤシの実をサロング・パトラに包んで(蛇の図柄の布)台の上に置いた。このヤシの実を土地に植えると、三日後にはヤシは生長し、その三日後にはハナが咲いた。その花を切ろうとしてアメタは指を傷つけ、その血が花の液に混ざると、一人の女になった。その少女はたちまち成長する。アメタは少女をサロング・パトラに包んで家に持ち帰り、ハイヌエレとなずけた。娘は三日後には、大人の女に成長したが、彼女は普通の女ではなかった。彼女が用便すると、その糞は皆、貴重な品となる。アメタは、たちまち大金持ちになった。その頃、祭儀の舞踏の庭では、盛大なマロの舞踏会が行われ、それは九夜続いた。九つの家族が参加したマロの祭りで、女達は中央の位置を占め、踊り子の男達に向かってシリ~の葉とビナングの実を渡した。しかし、翌晩、ハイヌレエは男達にサンゴを与える。三夜目には美しい皿を、四夜目には大サラ、五夜目には山刀、次の夜はシリ~箱そして黄金の耳輪、八夜目には美しい銅鑼。が、事態は不穏になってゆく。人々はハイヌレエを妬ましく感じる様になり、彼女を殺してしまおうと決める。第九夜、男達は踊りの広場に深い穴を掘り、舞踏が始まり、ゆっくりと螺旋状に回る踊りの輪の中で、男達はハイヌレエを穴の中へ落とした。マロ歌唱がハイヌレエの叫びを消す。人々は彼女に土をかぶせ、穴の中を踏み固めた。夜明けにマロ舞踏は終わり、人々は家に帰った。祭りが終わっても、ハイヌレエは家に戻らないので、アメタは彼女が殺されたのではないかと考えた。アメタはヤシの葉脈を九本とって広場に行き、九本を次々に地中に刺した。九本目の葉脈を抜き取って見ると、ハイヌレエの頭髪と血がいる。アメタは彼女の死を確認して、死体を掘り起こし、アメタは彼女の両手を残して、他は細かに切断して、舞踏の庭のあちらこちらに埋めた。すると、埋められた身体の各部分は、当時地上になかったものに変わった。まず、ハイヌレエの胃から大きな壺が生まれた。その壺は今日でも聖なるものとして保存され、少女の胃と呼ばれて、酋長の財産となっている。ハイヌレエの肺から芋がうまれ、胸からは女の形をした芋が、目からは芋の塊になる新芽が生じた。恥部からは明るい紫の良い香りの芋が、尻からは乾いた皮を持った芋が、耳からは上を向いて伸びる芋が、大腿部からは大粉芋が、頭からは芋の塊になった。これによって、以後、人類は芋を得るためが出来るようになり、それを食べて生活し、生きてゆかれるようになった。

この神話もハイヌレエが根源で象徴的に人肉を食べることがその深層に隠されているといえよう。

縄文時代の勝坂式土器は体内に無尽蔵の食料をない内臓して、それを惜しまず、生み出して与えてくれると信じられた地母的女神の姿を土器に表現した者といえる。

深鉢の胴体下部にくびれがあり、口縁部が内わんして、平坦な受け口状を呈するものがあり、くびれの部分に中敷きを置き、その下に水を、上に食物をいれ、口縁部に蓋をして、食物の蒸し器として使用うされたと思われる。この深鉢の蒸し器には、口縁部に土器の顔を思わせるよウな人の顔が付けられている。ことがある「顔面把手付き土器」と呼ばれる深鉢は全体に腹部の膨らんだ女性を思わせる形をしている。
この鉢は美味で食物の主の女体から人間に惜しみなく与えられる恵みとして考えられていたであろう。この土器は生まれながら身体から人間のために貴重な食物を恵みとして無限に排出し続ける地母神の表現を見ることが出来る。それはオオゲツヒメやウケモチの神に通じ、世俗化して山姥にも現れてくる。

ここにこれらの説話や神話を総合すると、太古の伝承の中に人肉食の記憶が潜んでいるのは否めない。

最後に、伊波普しゅう(南島古代の儀式・民族二巻五号・琉球民族)
昔は死人が出ると親類縁者が集まって、その肉を食べた。後世になって、この風習を改めて人肉の変わりに豚肉を食べるようになったが、今日でも近い親類のことを真肉親類といい、遠い親類のことを脂肪親類と言うのはこういうところからきた。

この文献は非常に、象徴的な文章である。私はこのフレ~ズは興味深い。

「出雲風土記」
古老の伝えて曰く、昔、ある人ここに山田を佃(つく)りて、守りき。その時、一つ目の鬼来たりて、佃くる人の男を食いき。その時、男の父母(かぞいろ)、竹原の中に隠れ居し時に、竹の葉動(あよ)けり、その時、食われる男、動動(あよあよ)といいき。故(かれ)、阿欲(あよ)と言う。

イタリアの一部のある地区では奇妙な遺伝的な病気が存在する。それは50歳過ぎに発病するのだが、遺伝で調べて行くとどうやら古い時代にこの種族は人の肉を食していたのではないかとの疑いが出てきたと言う。
症例はあるときから、睡眠が取れなくなって、眠れぬまま苦しみながら死に至ると言う。もう少し詳しく調べたいのだが、文献が少なく休止している。

「人食いの民俗学」礫川全次(批評社)

隋の時代では、部落全体の者が死人の肉を食する風習、即ち「部落肉食俗」が行れていたが、後世になって、親類だけが死人の肉を食することに制限され、更に、人肉の代わりに豚肉を食することに改まったのである。

死者に対する神聖な義務的な任務~「死者を冷たい地中に埋めたり、猛獣の餌にするより、暖かい自らの腹に納める方が死者に良いとするからであった。
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