上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
堀本(父)の米国の占領下の犯罪や国の責任裁判はことごとく敗訴であった。そのほか、相馬ヶ原事件の日本人による屈辱的な日本人裁判官の哀れな判決で敗訴になっている。

これまで、私の経験した裁判は思惑裁判であった。そこには正義より政治的な判断が優先されていた。
だから、私は恒に日本は隷属的な後進国裁判状況であると、諦めに近い気持ちでいたたまらない心境であった。その気持ちは以後、変わる事はない。

「陸山会」裁判では<やはり>と言う考えが先行した。あの裁判は明らかに思い込み裁判である。法の正義より濁った政治的判断が明らかであった。あれは司法の自立からはほど遠い。私が嘗て何回となく呑まされた煮え湯である。「悪貨」が蔓延るくすんだ国民の結論が正義を遠くしていた。と、諦めに近い感情は以前拭えなかった。

だから、今度も小澤は、多分執行猶予付きの有罪だと思っていた。どう考えても、法律的には無罪である。(私は小澤シンパではない。法廷な立場に立てば、無罪は明らか)しかし、日本の裁判に司法の独立は皆無だと考えていたから、ここも官僚と政治・司法の連携体質は変わらないだろうと高を括っていた。

しかし、結論は意外であった。否、まともであった。おかしな言い方ではあるが、それだけ我々の精神は汚されていたのである。
漸く、まともな精神状態で話が出来るのは良かったが、まだ日本国人の民度は薄い。一番大事なのは、この民度の高さのだ。私達はこれを機会に自分の足と頭で物事を見てゆく習慣をつけたいものだ。
スポンサーサイト
Secret

TrackBackURL
→http://nigihayahi91.blog65.fc2.com/tb.php/363-62cf92f7
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。