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法律とは本質論ではなかろうか。
私達が法律どうり生活をしているだろうか。多分、法律の核を意識しながら、その周辺を強弱を持って生活をしている。

例えば、私は経理を担当している時、節税と称して、脱税すれすれの行為をしていた。黒字枠を減らすために、ありもしない会議をでっち上げ、領収書を集め、議事録を作成して経費を捻出して、黒字を減額する。
これは勿論、法律違反だ。卑近な例だが、不法投棄も一度や二度ではない。つまり、私の過去を顧みれば、灰色に満ちていた。そこを根堀り端堀りほじくれば、罪は出てくるのは当然であろう。なにやら、カミュの「異邦人」を読んでいるような感覚に陥る。

私は小澤一郎が白などと考えてはいない。しかし、時代が田中角栄を生んだと言うように、小澤も生しめてしまった。だから、この当時の政治家はほとんど、小澤と同じ行いをしている。一歩踏み込めば、これは私達の誤りでもあるのである。議員は国民が選んだ代表者なのである。

それを認めつつ前に進むのは、認識して未来の行為を考えるしかないのである。私は贖罪として小澤を許し(と言うことは他の議員をも許して苦渋の自己反省をしなければならにないのであろう)、新たな生活を築くための前進をするより仕方がないだろう。
自省をすることなく、他人を排除する欺瞞的行為こそ罪であることを自覚しよう。未来が大切なのだ。
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