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2012.05.11 大山祇神
大山祇神はイザナミ・イザナギの子で山の神とされている。

しかし、その本願は伊予大三島・大山祇神社の社伝では山と海の神であるとする。祭神は大山祇神と磐長姫である。木花開那姫(吾田鹿葦津姫)は摂社であるのだ。(摂社とは関係神社で脇役である)
「古事記」ではニニギ命が襲(會・ソ)の地から笠沙(能登半島・加世田市)へ下り、血縁するのだが、その時の主題の女は吾田鹿葦津姫である。<ニニギの問いに姫は大山祇神が父だと答えている)四国の大山祇神社の祭神には疑問がある。
吾田は野間半島の海人族の名称であり、この地には一万年前のかこいノ原遺跡がある。そこには丸ノミ式石斧が出土し、太古より丸木舟の存在が予測され、古代の航行が他国との交流があったとされる。その吾田の象徴的存在が吾田姫であろう。ニニギ命が渡来的貴人と仮説すれば、黒潮交流の文化的結果ともいえる。

これらは、古代の文化的象徴の神話と私は理解している。確かに、四国も黒潮文化圏内ではあるが、笠沙との距離が遠過ぎる。それに、「伊予国風土記逸文」によると、仁徳天皇の代に大山祇神は百済から渡来した。と、している。これも私には疑問がある。笠沙と伊予は繋がりにくい。人は「古事記」のほうが問題があると言うが、本居宣長ほど「古事記」が正しいとは思わないが、基本的にはそこから出発する。正偽は個々に質そうとするのが私の精神である。

その伝で行くと、「古事記」の神話の方が史実に近い。吾田姫・大山祇神とニニギの関係は南九州の會(襲・ソ)が主要舞台だと考えるが、文献は少ないし、伝承もまた、語られていない。本当は国分市へ実際に行き、見聞するのが得策なのだが、如何せん経済的な余裕がない残念だが先ずは、図書館から駆逐しようと思っている。

余分だが、大山祇神・「八俣大蛇神話」の手名椎・足名椎もまた、その親は大山祇神である。随分とかけ離れた神話ではあるが、いずれはこの神話をも探求しようとも思っている。

また「日本書紀」では木花開那媛が彦火火出見尊を生んだので、父神・大山祇神は喜んで、狭名田(さなだ)の茂穂で天酒(あまのたむけざけ)を造り、天地の神々に供したと言う。これを穀物から酒を造った始まりとし、大山祇神を酒解神(さけどきのかみ)、木花開那媛を酒解子神と呼んで、酒造の祖としている。

「出雲神話」は以前述べたことがあるが、鉄争いのような気がする。スサノオウは高天原と葦原中国との架け橋の役目をになっている。国譲りとの関係があるかもしれない。
天酒造りは稲文化・弥生時代以後の話で、酒の君・秦氏との関係にも言及しなければならないのだろう。

今まで調べた文献はそのくらいだが、まだ物足りな感が残っている。大きく俯瞰すれば、山の民と海の民の相克の
物語であろうが、もっと具体的な伝承や遺跡が欲しいと思う。



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