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私が小澤裁判に執拗なのは、曲りなりも戦後の米国占領軍被害者遺族連盟の補償法制定運動の一環で、犯罪裁判を起こして行く過程で悉く政治的横槍で挫折してきた。その経験で、自民党・司法、防衛官僚・米国の捻じ曲がった思想で敗訴してきた。

一部の社会党(その代表は北川愛郎氏など)や共産党の代議士は強力に応援してくれたのだが、如何せんその当時は彼等は少数派で正論が通じなかった。それに引き換え自民党の諸氏は哲学より経済学に熱心で、何かにつけ言い訳に終始して廃案や敗訴に追い込んだ。

日本の保守議員は米国や財界、官僚に顔が向いていて、我々選挙票の少ない弱者には救いの手を差し伸べようとはしなかった。自分たちの保守のために正義より経済を優先させたのである。

この構図は現代でも生きていて、何やら奇怪な権力欲のために、庶民を助ける勢力をそぎ落とそうと懸命になる。

私が知るところでは小澤イデオロギィは地方分権にせよ、米国からの自立にせよ、教育制度改革にせよ、私達に不利益になる思想は見当たらない。ただ、田中角栄流の金権体質は少なからず過去はあったし、自説を通すために権謀術数を駆使してきた嫌いはある。そのため小澤の周囲には分身が育っていない。政治家としては大いなる欠点である。政治家に人脈、知的ブレインの集団は必須の条件である。それを小澤は軽視してきた。その影響が今、出ている。それだけでなく、戦ってきた敵に恨みだけを残してしまった。敵は結束して小澤を追い落としにかかるのは、小澤の改革的な理論が、その恨みと、既成保守派にそぐわない力があるからである。小澤が孤立するのは自業自得といえば言えるが、私は感情を抑えて考えると、小澤支持に行き着かざるを得ない。

今回の検察審査会の控訴を私が反対するのは、このシステムが未熟なのと(三人の弁護士だけに裁量権を与えるのは民主主義の原則に反する)、明らかに主流の弁護士に資金の汚れではなく、思想の汚れを感じるからである。この控訴には、司法の視線より政治的な偏りを感じるからである。

そんな時に「日刊ゲンダイ」に検察審査会の三人の略歴を見出したのである。「日刊ゲンダイ」だから少々頼りないが、まあ、意見として窺うとしてここにご披露しておこうと思う。

先ず、驚いたことに、この構成員は「第二東京弁護士会・全友会」であったということである。そこに仙石由人が顔を出していたことである。仙石が「人権派」とは片腹痛いが、明らかに大室弁護士とは話が出来ていたと考えるのが自然ろう。
この記事を読む前に、大室が聞かれもしないのに、「誰にも圧力はなかった」と語った時、私は他律の臭いを感じた。それがこの記事で得心がいったのだ。

私は今までの経過を読み、自らの経験に照らし合わせて、一つに邪まな集団の圧力を許さない。それは国を傾ける要因になるからである。
このような検察審議会は反対だし、小澤控訴は税金の無駄使いで、(馬鹿を承知で言わせてもらえるなら、敗訴の場合彼等に裁判費用を払ってもらいたい)敗訴の場合は何らかの責任を取ってもらいたい。安全の衣で助けられてやりたい放題の垂れ流しはやめて欲しい。戦後、間違った民主主義思想でどれほど国が歪んきたか、私は身をもって学んできたからである。
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