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「銅鐸の秘密」は臼田篤伸と言う人の著作です。この方は歯医者さんのようで私と同様にお歳を召してから、考古学に興味をもたれたようです。
銅鐸を中心に古代史を論じておられるのですが、大変面白い説もありますが、如何せん青銅器は縄文初期まで及びません。
彼の時代区分と民族区分は、縄文時代、弥生時代、古墳時代に分け、土器・土偶、青銅器や銅鐸・甕棺、古墳に分けて、縄文人、弥生人、天孫人に分けます。ここでは先住民族と朝鮮半島しか視野に入っていません。天孫族までも北九州に限定されます
、少し、正確に「古事記」を読めば、天孫族が朝鮮半島から渡来するには難しい問題が山積しているのがわかるでしょう。九州は険しい山塊が数多く存在して九州南端への移動は地理的に難しかっただろうと想像されます。
日向の高千穂の襲は、やはり宮崎か鹿児島が妥当だと思われます。天孫族が北九州とするのは、考慮が足りません。それに彼は銅鐸が南九州に出土していない事から、彼の頭の中から南九州は除外されています。これは偏狭といわざるを得ません。
私は、以前より述べているように、北九州と南九州と先住民族の確執が古代史を形造ってきたとしています。鳥居龍蔵教授が苗族を南九州の渡来にまで関与させている事実を彼は無視をしているか、知らないで古代史を語っているしか思われないのです。勿論、鳥居教授が正しいと決め付けているわけではありませんが、そこにふれても良いことではあります。

彼はこういいます。
「弥生時代は短かった。おおざぱに言えば、中国の戦国末期~魏・呉・蜀の三国時代に重なります。弥生最盛期に漢帝国の覇権の余波で朝鮮半島から天孫族が北部九州に侵入してきます。最終的には天孫族が弥生人を駆逐し、支配したのです。そこにドラマを感じ、栄枯衰退を見、一つの優れた戦具の「賞味期間」みたいなものを感するのです。探検のご紹介の行間に、それがにじみ出るように、と願っています」

私は天孫族が弥生人を支配したと言う説が理解できません。弥生人もまた、銅鐸を携えて朝鮮から渡来した同族ではなかったか。たとえ、彼等に新羅、百済、高句麗と民種の差異があったとしたらその葛藤を述べなければ為らないでしょう。天孫族の渡来が朝鮮以外と言う発想はなかったのでしょうか。

「古事記」をよく読むと、天孫族の末裔の神武天皇は東征にあたり、北九州から大和へ先に東遷しているニギハヤヒ命(私は弥生人だと解釈しています)の存在を臼田氏はどう解釈しているか聞いてみたいです。そうした細やかな視野がこの説にはかけているような気がします。

銅鐸のみで古代史は語りつくせません。あくまでも、私は谷川健一教授が唱えられているように、時代を総合的に考えるべきだと思います。谷川説は各分に広角的です。私は谷川先生の銅鐸説を支持します。
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