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梶井基次郎の「檸檬」は内なる起爆である。
よくよく考えると、私に明るい話題がない。脳裏に過ぎる事柄はよくないことばかり、それも内なる不満や外なる不満が渾然としてやりきれない。
私には「丸善」は遠いので、近くの新大久保の古本屋といった所だろう。

ここに東京新聞の記事がある。ある検察幹部の談話である。
「仮に不起訴ではなく、逮捕、起訴しろと言われても、証拠が集められなければ起訴なんか出来ない。証拠を無視して無罪となったら、逆に国家賠償請求訴訟を起こされるなどと大問題になる」と述べている。
これは小川前法相の指揮権発動記事についての反応である。

先の、陸山会の石川被告の有罪判決はどうなのかを考えさせられる。司法関係者はこんなにも巾があるのだろうか。あの判決は証拠を無視した状況判決そのものではないか。私としては司法関係者は決して行ってはならない行為だと思うが、その時は司法内部からは声が上がらなかったと記憶している。それが身内となると即座に反応する。しかも身内を擁護していると思われても仕方がない反応である。こんな不公平な判断はあってはならない。そしてそれに警鐘を鳴らすのがマスコミだが、まるでマスコミは政治家と思われるように一方てきな報道に終始している。その分、国民は賢くなくてはならないのに政治的に洗脳されているので、正しい声を発する事もない。何度も何度も同じことに終始して、泥沼に足を突っ込み、同じように自分の首を絞めてゆく。自業自得といえばそのとうりだが、見ている人間としてはいたたまらない。日々日常繰り返されれば、いい加減頭が狂ってくる。
「檸檬」を爆発させたくなるではないか。

遠距離操作の小さな抵抗、爆発の想像も限度を越えなければ幸いと言う所だろう。
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