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「鬼神の世紀」は京都大学物理学科卒の先生がお書きになった書籍である。縄文から弥生の祭祀を説いた興味ある本である。

しかし、神武東征の基本的なところに見解の相違があるので、私の見解を述べていこうと思う。

西宮先生はこう述べています。
「遙か昔、九州へ朝鮮半島から渡来して瀬戸内海沿岸を東進し、大阪湾を経て奈良盆地に入って最初に水田農耕を伝えた人々の伝説も象徴している・・・・」と述べています。

先ず、神武天皇が南九州から(宮崎県・津津美・・・指定不明)出発していること、その系譜(ニニギ命からウガヤフキアエズ命が南九州に居住していること、習俗が朝鮮文化より江南文化に属していること)は明らかに南中国の色彩が濃厚なのにその説明がなされていない。
東征の経路は朝鮮からだとあの険しい九州山塊を越えなければなりません。海路を使うには大きく南九州を迂回しなければならず、考えにくい進行なのです。それに塩土爺は安曇系で天孫降臨の際、會の地から笠沙にいたる道行で現れていることを思えば、安曇系の海人であることは歴然としています。薩摩に属する海人の首領でしょう。また、神武東征に重要な地位を占める久米氏は、まだ定説はありませんが、上加世田市行遺跡から出土した土器片に「久米」があるように、野間半島とは切り離せない種族です。「久米氏」は安曇目であったのはやはり、安曇系の海人族なのは確かです。

ここで安曇氏の本願が対馬の海神社にあり、そこは北九州の管轄だと言われる方もいるでしょう。

滝川政次郎教授が安曇族は中国・江南から黒潮に乗って渡来した北九州に着いた同族であると述べられています。北九州の安曇氏は渡来以後、異なった性格に変貌せざるをえなかったと思います。南に比べれば北は、中国、朝鮮、先住民族が多数住居していて、複雑な人種構成になっており、その競争意識は並々ならぬものがあったはずです。

これは私の説ですが、北九州から東征したのは、先ず、ニギハヤヒ命です。その人達は明らかに朝鮮半島から渡来した人種でしょう。「日本書紀」には神武天皇がそのことを予め認識していたと書かれています。それは大変正確な認識なのではないのでしょうか。

私はそんなことから、神武天皇は南九州から東征したと思っています。西宮さんのように朝鮮説を採りません。中国・江南説を採ります。
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