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ラジオで政治の言葉の意味を話していた。

西洋ではポリテックスと言い、日本では政治(まんどころ)と言う。これは決定的な相違である。西洋の概念は国と国が言葉を介在として、議論をして一つの結論をつける。そこで大事なのは理性であり、論理である。当然、国には各々違いがあるのは自明なことである。そこで理性的な妥協が生まれる。つまり、合理的な方法論が必要なのである。彼等はその根底に新約聖書の主題である神と人の約束事が最重要事として介在するのだ。それを人間的(民主)と言う。

一方、日本の形態は少し異なる。多分、古代からの宗教(呪術・卑弥呼の占い)と政治を総称して政治(まんどころ)と言う。

古代から、ヒメ・ヒコ性という政治形態があり、卑弥呼のような鬼道(道鏡的な占い)を好くする巫女が居て、霊感を得て当面の難事を啓示する。その霊感を側で軍事や農事などの世俗の行いを通知する補佐官の長が居て人民にそれを伝え実行する。日本の政治思想の根底にはそれがある。

超自然な事柄と人間界の曖昧な世事を統括したところに政(まつりごと)があると言う認識が我々には存在するのである。これは西洋の神の概念と異なったアニミズムの存在する物全てに精霊があると言う信仰があるのです。
多神教なのですが、「古事記」に言う、草木皆、もの言うという「物質」にさえも精霊が宿ると言う宗教に近い観念が我々には縄文古来から心に浸透している。
私達が日頃、無意識にそれを実行しているのは、周囲を私はよく観察すれば多くの事実が解かるでしょう。私はそれを素晴らしい思想だと思っています。多神教こそはその混成に「融和」の精神を潜ませているのです。意見を異なる敵にも塩を送る「優しさ」は、その融和の哲学があるからです。これは西欧人のように、神と契約したのだから、その範囲では悪事も許されると言う思想(教会の懺悔などは悪の合理の観念でしょう)はすっきりしてはいますが、私は危険だと思います。(シェクスピアのベニスの商人はその一端でしょう)

私はこの曖昧な日本人の「融和」思想が好きです。神も人もその境界を曖昧にする行為は無謀と思われますが、世界で行われる戦争に比べれば、将に人間的といえましょう。
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