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私は天孫降臨に付いて調べていた時、ミャオ族の銅鼓に行き着き、銅鐸の起源がそこにあるのではないかと思い多少は調べてみました。
銅鼓は「南」とも言い、葬送の祭器として使用されていました。また、ミャオ族は呪術者としてその銅鼓を操り南(南人)とも呼ばれ、祭祀に使用されていたようです。その文様は渦巻き紋や流水紋、そして鹿や猪、狩猟者、高倉が描かれています。それらは江南の農耕民族の文様に似て、そこに何らかの意味が隠されているのは確かでしょう。

渦巻き紋は生命創生を顕わし、流水紋は洪水に対する呪訴がこめられているとされます。全体として、豊穣と創生が抽象化されていると思われますが、どうでしょうか。

ここでもし、ミャオ族がその伝道者であったとしたら、大きな問題があるのです。
銅鐸は畿内を中心に存在します。九州は道鏡や銅剣が主流です。銅鼓の伝播の過程が理解困難です。中国・江南からの伝播なら黒潮に乗ってやってきたと考えるのが自然でしょう。黒潮は東シナ海で太平洋側の黒潮続流と日本海側の対馬海流に分かれます。南北九州や出雲、北陸を流れ、太平洋側には四国、近畿、関東と流れます。

ミャオ族が江南から畿内にやって来たとすると(あるいはその文化が伝わったとしたら)、太平洋から直接、畿内に漂着したと考えざるを得ません。その可能性は薄いでしょう。これからの論証が必要となります。

また、眼についてですが、シヴァ神の第三の眼説や、異説ではありますが子宮説や空想的なのはブラックホ~ル説があります。
私は中国・蜀の三星堆遺跡の蚕叢(さんそう)の神の飛び出た眼球などが考える余地があるとは思います。
もし、眼の文様が銅鐸に抽象化されたとしたら、そこまでの過程を解明しなければなりません。

鳥居竜蔵の説によると、初期銅鐸に見られる蛇視文は明らかに古代中国のとうてつ文やきほう文などの文様の流れを引き、図形は単純だが、そこには中国の青銅器の文様が見られる。しかし、中・後期の銅鐸の絵画文様は装飾古墳の壁画と通じるものを漏っている。
鳥居竜蔵は苗族系統の銅鼓使用者が日本に移住するとともに彼等の故郷の風俗などをも齎した。それが銅鐸に現れた。と言う。

私はその問題に興味はありますが、現在、天孫降臨にまつわる「久米氏」と「安曇氏」の研究に主力を注いでいるのでそのことに関わりあう時間的な余裕がありません。
よりよい資料があったらご教授下さい。
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