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隼人の産土(うぶすな)である曽於を文字の面から考えてみようと思う。
大体、この曽於と言う呼び名は呼んだ者の側(征服者)から見た呼び名である。
横手理太郎は「曽於」につてこう言っている。「そお」は「そ」の二字化による転である。「せ」(背)の転で、狭くなった所と述べている。
又、吉田茂樹は「そ」(曽、襲、曽於)の意味は南九州の国でその部族に曽於人がいたとする。「そ」は「背」の意味で_背後の辺境の国、荒々しい日陰の背の国_と言う。(「そ」は乙類の音)
「背」は「北」(ほく)で<ハイ>の音がある。
<説文>には、「背なり」とあり、背は体(からだ)の背後にあたり、背肉の象(かたち)に従う、とある。
「背」は「北」に通じ、「南」に対してその背後の意味である。
それらの説に従うと、曽於はやはり不毛の空国(むなくに)の意味であろう。しかし、考古学の発見から「曽於」は縄文期より栄えた集落で上野原遺跡からは相当の文明を持った集落の印象があり、「北」の寒々とした感じは見られない。私は現在の鹿児島県・国分市から推察すると、曽於人をもっと明るくしぶとい人達を想像する。曽於の先住民の声を聞きたいものだ。
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