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やはり平和は平和である。平和は悪いわけではない。3・11以来確かに人の意識は変わりつつある。それは事実だ。海外の報道は、原発再開デモを静かな怒りと報道し、その規律ある行動と驚きをもって伝えている。それはそれなりに評価すべきではある。
しかし、平和は平和なのである。単なる平和から何も生み出しはしない。大事なのは命で、命を触発しない変革は尻つぼになるのである。それは私が60年安保闘争から70年安保闘争への変遷を経験した実感である。人心は自分の利益を収斂するように誘導をされ、それに人心が選択していったのである。それは全く間違いではないと思う。しかし、それはベストではないのだ。そのことを乗り越えることはかなりの民度の高さを要求する。だが、民衆を支配するのに、その民度の高さを創造しないのだ、寧ろ抑制に向かう。あたり前のことだ。利巧な民衆などは扱いずらい何ものでもないのである。素直で忠実、熟慮できない状況を創っておいたほうが扱い易いのは言うまでもない。それには平和が一番なのである。

平和が一番、この標語こそマスゴミの伝えるべき麻薬である。

60年安保こそ日本の転機であった。60年の象徴的なのは警察に追われた学生を人々は匿った。そこには安保が民衆の側にあり、そこからの脱出の根が兆していたからである。そんな状況を拡大進展させるだけの英雄が存在していたなら、日本は大きく変わっただろう。しかし、そうはならなかったのはそれを抑える側の力が勝っていたのである。70年には民衆は逃げ惑う学生に目もくれなかった。そこから、現在を予測できた。私達の占領軍遺族被害者連盟もその煽りを受けて、運動の勢いを抑制されていった。私の酒が苦くなったのはその頃からである。

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