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「続日本紀(しょくにほんき)」養老三年(719)十一月二十四日条

「忍海手人広道(おしうみてひとひろうみ)に久米直の姓を賜いて並びに雑戸の号を除く」とある。

719年は「古事記」の編纂から7年後である。まだ、天武天皇の勅旨が効力を持っていたであろう。しかし、「久米氏」のネイムバリュウは衰退していたことがわかる。神武天皇の将軍をの務め、皇后の推薦に多大な尽力を果たした名門部族である。それが「手人(てひと)」とあるから朝鮮渡来の技術者にその位を授けるのは曲がりなりにもその勢力が下落していたからだろう。天皇の勢力の範疇にあった事はこれで確かめられるが、先住豪族の氏姓が異国人に譲るのは屈辱そのものであっただろうが、その抗議さえも出来ないほど勢力を衰退させていたのは悲哀そのものであったと言える。

但し、忍海氏は大海氏と同族で尾張氏や多(太・おお)氏とも同族で天孫系の名門ではある。天武天皇を支えた勢力なのだから、その中に、落ちぶれたとは言え「久米氏」も参加していた事実は確かである。

「古事記成立考」(大和岩雄)をここに挙げておく。

「久米直の祖大久米命が「古事記」のみに載るのは、オホ氏の関与が考えられるが、忍(大)海手人が久米直になっているから、同じ忍海の手人の大海氏の関与も考えられる。大海人皇子の養育にかかわる湯沐令(ゆのながれ)の多品治(おおのほむじ)と、大海人皇子を幼児のとき養育した大海趨蒲の大海氏は、大海人皇子をとおして親しかったので、両氏が伊奈と忍海でかかわる久米直の祖の大久米命を、「古事記」独自伝承として原「古事記」にいれたのであろう。
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