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「続日本紀(しょくにほんき)養老三年十一月二十四日の条(くだり)」

<忍海手人広道(おしぬみのてひとひろみち)に久米直の姓を賜ひて並びに雑戸を除く>とある。

忍海造小滝らが、「日本書紀」神功皇后五年の条には、葛城襲津彦が新羅から連れ帰った俘人が忍海などの四邑の漢人の祖であると伝え、後代の史料には、忍海手人の称が見える。忍海漢人、手人はもと葛城支配の金工集団であったと考えられ、その管掌者が首姓の忍海氏かもしれない。(佐伯有清の解説)

これらの文章から、忍海手人は渡来系の工人と考えられ、その渡来系工人に久米氏の姓を譲ることは、既に「久米氏」がその勢力を完全に失っていたか、もともと「久米氏」は渡来民族かであろう。

天孫降臨の状況を見ると、久米氏は「直(あたい)」姓を与えられている。「久米直」は高御魂命の八世の孫の味耳命の末(すえ)といわれ(新撰姓氏録)、天孫族の一員の印象があるが、「直」は古代辞典によると、<古代の姓、5・6世紀に成立し、主に大和王権から国造などの地位に認められた地方豪族に対して与えられた>とある。
私は久米氏は中国・江南からやってきて、野間半島に定住した地方豪族と判断している。それは、上加世田遺跡から「久米」を刻んだ土器片が出土していることから判断したのだが、滝川政次郎の「猪甘部考(いのかいべこう)」が説くように、黒潮に乗り江南からやってきた渡来人でニニギ命が南九州・笠沙の吾田姫(野間半島の隼人族の女)と血縁しているように「久米氏」も現地・先住民族と血縁した民族であろう。
すると、「養老三年(719年)」の記事は、整合性があるとも言える。

黒潮は日本海側の対馬海流と太平洋側の黒潮続流があり、瀬戸内海、近畿・中部・静岡・関東と海人族の分布範囲で、先住海人族や渡来系海人族の交易圏内ではある。
これから、少しずつそれらの実証をしなければならないだろうが、表記の文章は「久米氏」の問題を考えるのに、格好の材料を与えてくれたように思う。
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