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オリンッピクは開会式だけを見てそれで終りにしようと思っていたが、その前のナデシコ・ジャパン
を観戦してその試合振りが真剣なのと、沢ほまれの復活振りに興味を覚えて準決勝まで見てしまった。しかし、それも個別的なもので、水泳や柔道を見ていてそれ程の感慨は湧かなかった。特に、柔道はあれは所謂柔道ではなく、胴着を着けたレスリングに過ぎない。大相撲の時も感じたことだが、一つか二つ、頑なに、日本古来を主張したものがあってもいいと考えていた。特に、相撲は国技で日本を主張してもいい競技で外人は無用だと思っていた。それに比べ、柔道にはそれ程のこだわりを持ってはいなかったが、オリンッピクの競技はその感情を遙かに超えて、柔道を逸脱している。あんなものは柔道ではない。床がビニ~ルだというのも興ざめである。

そんな感情の冷めたとところで試合を観戦しても、観念だけが先にたって、感情が動かない、感情が伴わない試合ほど詰らないものはない。

そこでオリンッピクは女子サッカ~を覗いて、たまに録画見物でお茶を濁していた。

その中で、気持ちが動いたのは、女子(何で女なんだろうね)48キロ級レスリングであった。63キロ級の伊調馨の笑顔が美しいとは思ったが、何にもまして、小原(旧姓・坂本)日登美(31歳)のレスリングである。

最初、ポイントを奪われた。私もマラソンを齧ったので良くわかるが、先制パンチを食らうと、そこから立ち直るには強靭な精神力と諦めない忍耐力が必要である。言葉にしてしまえば簡単だが、試合の最中にそれを克服するのは至難の業なのだ。大体が諦めが先に来る。

しかし、小原は違っていた。そこから、挽回し始めたのである。焦りもあったろう、談話にもあったが、一瞬諦めたと言う。彼女をして何が復活させたのだろう。

31歳はもうオリンッピクは最後であろう。嘗て、48キロ級には妹がいて、姉妹で戦うのを避け、55キロ級に変更するが、そこにはあの天才・吉田沙保理がいた。大事な試合で二度とも完敗を喫している。日登美はオリンッピクは諦めなければならなっかた。その時、彼女は落胆の余り引きこもり、体重も73キロにも増やしたという。当然、レスリングから引退を決めたのは自然の成り行きである。この気持ちは私にも甚く理解が出来る。
やけっぱちで恨みごとの一つや二つは口を付いて出ただろう。
そんな時、家族や周囲のコ~チや同僚の励ましで少し心が動いた時、妹の引退を知らされたのである。情報が入らないので、私の推測ではあるが、妹は姉を思って身をひいたのだろう。家族愛の感じられる人々だからである。

小原日登美(31歳)の脳裏の底にはそれらの記憶が瞬時に流れたと思う。それらの力が彼女を復活させた。最後の一踏ん張りが執拗な粘りを生んだ。真剣さが集中力が前面に現れていた。そして、試合に勝った。

彼女は試合まえにこう言っている。
「これが最後の大会になると思う。最後は笑顔で終わりたい」と冷静に語っている。
しかし、実際には彼女は完全に取り乱していて、泣きじゃくり審判への挨拶も出来ていない。私はその振る舞いにも好意を持った。泣きじゃぐるがいい。本当のことに人は感動するのだ。型には感動はない。泣きじゃぐるがいい。と私は思った。

いい場面を見させてもらった。今日、一日はすがすがしい一日が過ごせそうだ。滅多にないことなので大事にしたい。
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