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私は「熊襲」について。、前から気になってはいた。「熊襲」は八世紀にヤマト朝廷によって命名された名称である。
「球磨會於」で「球磨」は肥後のことで、「會於」は大隅のことだとする説や「熊襲」は本来は「襲」であって「熊」であって、猛々しいとか優れていることの総称だとか、本来は「會」のことだとかある。

大体が中国の一字はよろしくなく、「好字」は二字だとする中国の用例を大和朝廷の「記・紀」(日本書紀、古事記の略字)こ編纂する際に踏襲したのが理由であると思われる。本来は「襲」とするところを二字・好字の原則を踏襲したのであろう。私は源字は「會」であったと思う。

さて、「會」はいかなる意味なのであろうか。「昔」とも読めるし、「空しい地」と言う意味であったとも言う。私は白川静先生の「會」は「甑」に通じるが気になって仕方がない。

「甑」とは「蒸し器」のことだが、一見するだけでは意味が通じない。
読みすぎかもしれないが、私は大隅地方にある「上野原遺跡」(紀元前10000年)に「蒸し器」が出土している事との関係を八世紀の知識人の慧眼は「語り部」の口承に古太から大隅地方には土器として「蒸し器」が出土しているのを知っていて、「會」を「襲」と命名したとしたのは読みすぎだろうか。
私は「古事記」の「大歌所」の巫女が「天語り」や「神語り」の中に詠う「會(上野原遺跡)」の伝承を知っていたとしてもおかしくはないと思う。
「會」とはそうした縄文時代の先進性の象徴として「熊襲」を代行したとする、屈折した天才たちの屈折した表現法としたというのは私の歪んだ考察なのかもしれない。
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