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ニニギ命が仮に江南から渡来したとして、多くの臣下を率いてやってきたに違いない。
それを考える意味で「史記」にも載る「徐福」の船団移動の状況を考えてみたい。

「史記・淮南衡列伝」には、紀元前三世紀頃、秦の始皇帝の不老不死の妙薬探しの命令で、斎の人・徐市(徐福)が、不老不死の薬を求めて航海している。<男女三千人を遣わし、之に五穀種、百工を資して行かん>と記している。
それを詳伝するように「櫨山記」では説明をしている。
「一千人の童男女と五穀の種子のほかに七族と言われる<航海・天文・呪術・作士(造船)・記録・薬司官などを五百隻に分乗させた>といい、<大鮫魚のために上陸不能と談じ、始皇帝に援軍を申し出た徐市(徐福)の二番隊には、総勢五百五十四人、医師・農業・鋳物師・酒造職人・大工・石工・金工・紙工・製塩製油の専門家を八十五隻の舟に分乗させた>と述べている。
因みに、降臨の集団と言えば、ニギハヤヒ命がいる。河内国河上のイカルガの峰に天降る。
その時の臣下を「先代旧事本紀」ではこう述べている。(但し、数が多いので氏姓は省略)

三十二人をして、並びに防衛(ふせぎまもり)となし、天降(あまくだり)し供(つか)へ奉(まつ)らしむ。
また、五部(いつとものを)の人を副え、従いて天降り供え奉る。と、五人。
そして、五部造(いつともをのみやつこ)、伴領(とものみやつこ)となり、天物部(あまつものべ)を率いて天降り、供え奉る。
さらに、天物部(あまつもののべ)ら二十五部(はたちあまりいつとも)の人、同じ兵杖(つわもの)を帯びて天降り、供え奉る。
その他、六人ら。
総勢、七十三人で天下る。
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