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2011.05.05 苗族
4000年前には、現在の湖北、湖南、江西などの地は巴の苗族が占領していた。その苗族は三苗族とも言われ、長江中・下流域を支配する多民族国家であった。三苗国の首長は「しゆう」と言い金属器を操る81人の兄弟と雨師や風師、更に魑魅魍魎(ちみもうりょう)を従えて江南の地に君臨していた。彼らは灌漑や兵器製造、築城の技術に長けていたと言われている。
BC2000年に大洪水により滅した良渚文明(BC3200~2200年)は三苗族の領域だった。洪水によりその地をたたみ、黄河中流域に移動する。しかし、そこには黄帝が率いる王国があり、両者は激突してしまう。
はじめの内は経済力や軍事力に優れた三苗族が優勢で黄帝軍は徐じょに敗退してゆく。そこで黄帝は天の西王母に助けを求める。西王母は部下の魃と言う女神を降臨させ、雨師を使った三苗族を魃が破り、それが契機になり、黄帝軍が優位に立ち、遂に「しゆう」を殺す。(これは神武東征での天照大神の説話と似ている)
三苗族は敗退し、その一部は山岳地帯に、一部は洞庭湖周辺に後退し、その勢力を弱めてゆく。
これは「しゆう」と黄帝の「琢鹿の争い」と言う神話にすぎないが、太古において長江流域を苗族が占有していたことを表していることが解る。


西王母についての「山海経(海内北経)」
「蛇巫(じゃふ)の山は、上に人有り、杯(ほう)を操(と)りて東向して立つ。一に曰、亀山と西王母は几(き・ひじかけ)梯(よ)りて、勝(かみかざり)・杖を戴(いただ)く。其の南に三青南有(あ)り、西王母のために食(し)を取る。崑崙の虚の北に在り、人有り、大行伯と曰う。カ(ほこ)を把(と)る。」


「漢武故事」「漢武絶世」(220~589)では西王母は少し変貌をとげる。仙女化する。
<年は30歳><容貌は秀麗>と記し「不老の薬」は「仙桃」に変わり、「三羽の青鳥」は「薫双成、王子登等の天真爛漫な侍女に変化してくる。(唐代)これは道教の影響であろう。
私は西王母は縄文の地母神やイザナミ女神に共通項が多く、根元では同じだと思っている。その点から言うと唐代の西王母より「山海経(せんがいきょう)」の方にその実像があるような気がする。

西王母は「西」つまり陽の沈む所、黄泉の女神の印象が強く。「ばん桃」は不老長寿の果実であり、創生の神でもあります。そして、醜悪な風貌は(豹の尾、虎の歯そして蓬髪にして勝<かみかざり>を差し、青鳥を従えている)縄文土偶の風貌のようにデモッティシュな性格と一到する。
イザナミや西王母も地母神で括れるような気がします。



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