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2012.09.11 久米氏の謎。
久米氏について私は少ない文献の中から、多分、四世紀までの氏族でそれ以降は弱小氏族の部類に入ると思われる。(その後、五世紀には大伴氏が頭角を現してくる)

「天孫降臨」では<古事記>は天忍日命(大伴連の祖)と同格の天津久米命がニニギ命一行を「襲」から「笠沙」へ先導している。次に久米氏が登場するのは神武東征である。つまり、天孫族の遠征には中心的に活躍をしている。その後、久米氏の名が主として出てくるのは、大嘗祭の「久米舞」であるが、ここでは久米氏が実際に関与していず、「大伴氏」と「佐伯氏」が実行している。

久米氏の主な登場舞台とはその三点であろう。その後、久米氏を知る記事は「続日本紀」の新羅の手人・忍海の工人に「久米直」の名を献上した。没落記事とか大和に移住した地が高市郡久米郷である(この付近は金属の鉱山が存在する)。
ただ、少し深入りをすると理由なく、渡来の民に名前を渡すとも思えない。仮説だが、久米氏も渡来的要素があったのではないか。それが中国系か朝鮮系かが解かる由もよしもないが、歴史の浅い氏族なのかもしれないのだ。感じとして、早い時期に衰退していた可能性がある。そう考えると、南九州系王朝の存続は、歴史的には比較的短いのかもしれない。それに対応していたとすると、久米氏もその活躍時期が短かったという仮説も成り立つ。

ただ、加世田市(加世田は笠沙の田が訛ったものである)の上加世田遺跡から出土した「久米を刻んだ土器片」が重要だと思われる。しかし、その後、日向にも薩摩にも大隅さえ「久米氏」の影は射してこない。
文献や伝承では、久米氏が隼人であるとか、久米氏が大伴氏に変更したと言う伝承がなされている。
「大伴」と言う名称にだけ拘れば、「伴」は明らかに、附随氏族で発祥氏族ではないでしょう。その点からは「久米氏」は先行して、「大伴氏」が久米を改名して、継続した。と、する説は成り立つ可能性を秘めている。

「久米氏」が隼人とする説の根拠は「吾田鹿葦津姫」とのニニギ命との婚姻が影響しているのであろう。当然、首領のニニギ命が「隼人族の女」と血縁を結べば、南九州は「會族」系の種族は主体的な種族なので、臣下の天津久米命もまた、「隼人族」の女性と血縁したであろう事は、大いに考えられることである。その際、「久米氏」が隼人の名の下に隠れてしまったことはありえよう。

もう一つ、安曇氏との関係であるが、両氏の職掌が非常に似ているのである。軍人として、膳手(かしわで)や俳優(わざおぎ)つまり、宴会を取り仕切る役目として皇孫に尽くしている。
私は「今昔物語」を読んでいて、<久米の仙人>のくだりで、久米の仙人が仙人修行をする場面がある。その際、同時に「安曇氏」も仙人修行をしている。(扶桑略記では大伴氏の加わっていると書いてある)その件は偶然ではない。折る意図が感じられる。つまり、この三者は同族か非常に近しい種族であろう。
その点では、「大伴氏」の久米・改名説や「安曇氏」の同族説は全く根拠がないものではなかろう。しかし、それを確定するだけの資料は少なすぎるので、明言はできないのである。
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