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2012.09.16 古代史覚書2
古代史に興味を持った要因は初代天皇、神武であった。その結果「天孫降臨」から始めることになり、南九州に探求の志向が強かった。

北九州はそれ程の文献を読みこなしたわけではないが、傍流としての知識はある。
北九州は民族の坩堝と言える。黒潮に乗り中国江南より遣ってくると思えば、島伝いに新羅、百済かつ高句麗そして縄文先住民族が群雄割拠している。神話的に言えばその中でニギハヤヒ命が物部氏を率いて、いち早く北九州を脱して近畿の大和へと東遷しいている。(その理由は明らかではないが大切な要因なのでいずれは解明されなければならない)そのことは「古事記」特に「日本書紀」には明示されている。若御毛野命(後の神武天皇)が塩土老爺に遷都を尋ねると老爺は「東に美き地あり、青山四周らす。先にニギハヤヒ命が東遷している」と述べる。神武天皇は既にその事実を知っていて「ニギハヤヒ」の名を口に出している。
私はこの事実は非常に重要なことだと思っている。先ずは、北九州から東遷していることである。仮説ではあるが北九州は朝鮮半島の文化的、軍事的な影響が大きい種族で既に、大和を統治していた豪族・長脛彦と連合して先住民族の首長の妹と血縁している。このことは重要な事件である。二つの民族が血縁すると言うことは、かなりのエネルギ~を必要とする。その基盤は時代を超えて力を沈着させる。詰まり潜在的な力を蓄えるのである。

そこへ神武天皇が割り込むのである。激しい闘争があるのは自然の成り行きである。



持論で言えば、南九州を背景とする神武天皇は中国・江南の文化を担う南九州・會族との混血種族であり、ニギハヤヒ命は朝鮮民族と縄文先住民族(物部氏か?)が血縁した種族同士の戦いのはずであるから、並みの戦闘ではないはずなのである。

それ程神武東征は重要な東征なのであると私は理解している。

ニニギ命とニギハヤヒ命は兄弟である。(ニギハヤヒ命が兄で、父は天忍穂耳命です)
その三代後が神武天皇で当然、神武天皇は南九州の種族に属する。ニギハヤヒは北九州に属しているのだからこれは微妙に血族の違いが生ずる。ニニギ命が江南の安曇族の首長であると仮定すると、この種族はイザナギ命の禊(みそぎ)によって生まれた種族で、北九州の天忍穂耳命は、天照大神とスサノオウ命との誓約(うけい)によって生じた種族なのである。
天照大神とスサノオウ命は、安曇氏の祖・綿積見神の後に生まれる神々で、少し穿った見方かも知れないが、先ず中国文化が先行し、朝鮮文化はその後で形成される。その時間的影響度が初期の神話に盛り込まれているといえないことはない。

私は「古事記」と「日本書紀」の内容は広く深いと思っています。両書の編者の考察度は驚くべき深さを感じるし、かなりの文献や伝承に精通していたと信じている。

南九州が江南・特に「呉族」との関わりが濃厚なのは、文化・習俗が江南のそれと同類だからである。
ニニギ命は次男であり、彦火火出見命も火照命の弟である。勿論、神武天皇は四男である。つまり、共に末子である。そのほか、久米氏は安曇目であるし、隼人もまた文身をしており、鵜飼の習俗が伝えられている。これも江南の習俗である。
他に、中厳円月(中世の「日本紀」の作者)は神武天皇は「呉」の太伯の末と述べている。「呉」は言うまでもなく江南の倭俗である。江戸の儒者・林羅山もまた、その支援者である。
南九州と唱ってはいないが、中国に朝献している「倭人」は皆、自らを「呉」の太伯の後裔と名乗っていると記す。
「倭人」(九州の倭国であろう)は江南の「倭」と血族関係にあったと言いたいのである。それがどれほど信憑性があるか疑問ではあるが、少なくとも、中国・江南との交流があったことの証左ではある。

「呉の建国伝承について」
伝説によりますと、周の古公旦父は末子の李歴に家督を譲り、さらにその子・孫である英明な昌(文王)に王を継がそうと考えていた。父のその意志を長男の太伯と次男の仲擁がそれを察して、李歴に家督を相続させ、衡山に薬を取りに行くと偽って逃亡し、国境を越えて、荊蛮の地にやって来て、梅里に住み、この地の風習に習って、文身・断髪し、句呉と名乗った。即ち、「呉」にいて、梅里の人々に慕われ、呉王となり、「呉太伯」と名乗った。太伯が死ぬと、仲擁が後を継ぐ。(BC585~561)
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