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ニニギ命が笠沙から高城郡に移動してそこに定住する。伝承では、新田神社はそれを祭り、可愛の山稜がニニギ命のみささぎであろう。その子・彦火火出見命は鹿児島神社の主祭神で高屋の山稜に祭られ、ウガヤフキアエズ命は鵜戸神社に山稜は吾平の山稜に祭られている。
これらの命は薩摩から日向、三代で築き上げた勢力図であろう。私はこれらが南九州王朝の基盤だと考える。その影には、吾田鹿葦津姫、豊玉姫、玉依姫の先住民族との血縁が大きな要因となっている。この姫たちは明らかに會族乃至は隼人族の娘で、恐らく巫女的な重要な立場にいる皇后であったと恩われる。

隼人は多種族的な要素があるのは、彼等が所謂、「海の隼人」と言われ、阿多の地・加世田のかこいノ原遺跡に見られる太古から海人族として南方諸島や江南との交流があって、「山の隼人」(これは襲・會の地の先住民)のように純潔性を重んじるより開放的、革新的な血がニニギ命や外海人族(多分、久米氏や安曇氏はこれに続する)との血縁にさほどの抵抗を示すことはなかったろう。

説であるが、吾田隼人が會族との親近性がなかったら、ニニギ命の野間半島上陸がそれ程上手く行かなかっただろう。「海の隼人」の海外の種族や文明との接触の重要性を具体的に説得できなかったなら、数多くの漂流異人の略殺談は生まれない。「花宮御前」の空船(うつぼふね)の漂流異人の奪略・殺戮伝承や「手杵祭」の言い伝えは残らなかったであろう。(勿論、これには祟りの影が存在しその伝承説話でもある)

このことは、日本民族の思考形態を語る上でも重要な要素でもあるが、「海の隼人」の存在なくして、南九州の先進性や開放性を語ることは出来ないだろう。又、薩摩・日向の種族の優秀性もこれらの混血種族だからこそ達成されたと思われる。
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