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2012.09.28 絹の話題。
肥前の国風土記を読んでいて、悪神が通行人を殺すので、可是古がそれを退治する方法を占うと、幡(はや)を立てて占った。そして、占った結果、悪神を退治する。

その幡の起源は朝鮮の「蘇塗(そと)」と言う儀式が起源であるとする説がある。幡は絹で織られていて、樹木に鈴鼓を掛ける。当然、布を織る技術を必要とする。絹は大変難しい技術を必要とし、蚕の飼育も難しい。しかし、桑の木はどの環境にも生育する樹木なので、簡単なので蚕さえ飼育できれば絹の生産は容易だ。

桑の原産は中国・長江域だといわれ、紀元前4000年には発見されている。その後、朝鮮半島にも伝わり、日本には1000年前に伝わったと言われる。

「古事記」にも天照大神がスサノオウに織姫に悪戯をしたことが契機で天岩戸に隠れる神話を持つ。その他、オオゲツヒメや保食神の神話には死体化生説話にも「桑」現れている。

それが朝鮮の習俗が始原だとすると、絹の生産は朝鮮からと思われるが、実際伝わったのは中国・江南であると言う説の方が正しいような気がする。
ただ、「日本書紀」や「古事記」を編んだのは、八世紀の朝鮮系知識人であるのが定説で、その影響は現れているのは否めない。

また、「蘇塗」は樹木を立てる習俗がある。これは縄文時代からの巨木信仰と関係があるかもしれない。木は、天と地それに黄泉に通ずる要(かなめ)で、神が乗り移る依り代で神と同等の御神体でもある。
例えば、玉串は、私が想像するに、カミナリが大木に落ちる状態を形にしたものだと思っている。

確かに、「蘇塗」は日本神話の端緒を象徴しているように思われる。それは、八世紀の書物の製作者の考えが反映しているのかもしれない。

私の知るところでは、養蚕の始めは四川の蜀であると理解している。
「蜀」は蚕の形象である。蜀の遺跡で、三星堆遺跡があるが、その始祖は蚕叢と言う神で、蜀に養蚕を奨励したと言われている。その三星堆には、馬と娘との婚姻伝承が伝えられている。
絹を商売にしていた父親が三年も帰ってこないので、娘は自宅の馬に父親を連れて来れば、自分は馬の嫁になると約束をする。馬は飛び出し、父親を連れて帰ってくる。
娘から事情を聞いた父親は馬を殺し、自宅の前の木に皮として晒す。すると、娘が木の前に来ると、馬の皮は娘を包み天に昇り蚕になったという。
そう言われれば、蚕の頭は馬に似ていると言える。
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