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「他の分野の科学・技術は、急速な発展をとげているのに、日本文献学のみ、百年の眠りにふけっていてよいのであろうか。十九世紀的文献批判学は、西欧でも、中国でも、史的事実の把握において、失敗をくりかえしてきた。
十九世紀的文献批判学は、「イリアス」や「オデュッセイア」などを、ホメロスの空想の所産としたが、この結論は、アマチュアのシュリ~マンの発掘によって崩壊した。
批判や否定の精神のみでは、科学の名に値しない。
古代の探求は、仮説検証的な方法のよるべきである。」

この見解には私は賛意を表する。
古代はその総体が時に埋没していて、全体が見えない。それを仮説で真実解明の俎上にのせて、あらゆる光りを当てて事実を帰納する方法は最善の方法であると考えます。安本説を支持したい。
安本美典は正直言って好きになれなかった。彼の統計主義が私には形式的な思考に思われたからだ。彼の能率短期大学教授の肩書きも保守的な臭いがして食わず嫌いの私の思い込みだったのかもしれない。

しかし、最近古代史に傾注している私にやむ終えず、彼の著作を読み始めたのだが、わたしの見解と重なる部分が多く、非常に参考になることが判明したのである。

特に、「大和朝廷の起源」(勉誠出版)の方法論の宣言は賛成だ。

「他の分野の科学・技術は、急速な発展をとげているのに、日本文献学のみ、百年の眠りにふけっていてよいのであろうか。十九世紀的文献批判学は、西欧でも、中国でも、史的事実の把握において、失敗をくりかえしてきた。

十九世紀的文献学は、「イリアス」や「オデュッセイア」などを、ホメロスの空想の所産としたが、この結論は、アマチュアのシュリ~マンの発掘によって崩壊した。

批判や否定の精神のみでは、科学の名に値しない。

古代の探求は、仮説検証的な方法によるべきである。


是が安本美典の宣言である。私はこの宣言には賛成ではある。
ただ、彼は多分、史的唯物論を批判しているように思うが、私はマルクスの政治論は全面的に賛意を表することは出来ないが、彼の弁証法的思考法は正しいと理解する。どうやら、私は花田清輝の説く、「矛盾は矛盾のまま、止揚する」と言う立場に立ちたいと思う。
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