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この武田さんと言う人は面白い人で、意図しているかしていないか解からないが非常に際どいことを話題にする。

放送でキリスト教の洗礼・パンとぶどう酒の話題になり(これはカニバイズムである)、セックスの食う・舐める・咬むの話題に進展させる。まあ、放送ではこれぐらいが限界なのであろうが、非常にきわどい話である。

その放送を聴いていて、私は予てから、課題として保留しておいた原始社会におけるカニバリズムを思い出していた。

人は食事をする。(これは性と密接な関係があるが、ここでは保留する)米(植物性食物)を主食にして、肉を食べる。それは生きるためで、虎はそれを鹿とかウサギの動物性食物で摂取する。人も太古には他の動物を食べて生き伸びていたといえる。虎の肉食の初源は多分、共食いであろう。いや、生命の起源を追ってよくとウイルスは共食いに近い行為をする。
マナ行為と言う行いがあるが、この意味は超自然的なものを体内に入れ(食べ)、それを自らの物とすることである。カニバイズムとはこのことなのだが、それは尾張大国魂神社の「屠人放神事」を引用した昔を思い出した。

「屠人放」とは人の肉をバラバラにするという意味である。少し、その神事を紹介すると、
<正月の三日・四日の神事として、「マナ箸」の神事が伝えられている。この神事は、二匹の「ボラ」を料理し、共食するものだが、その前に「弓取りの神事」がある事から、ここでは「弓祭」といっている。なぜ、魚を取って食べる神事に弓射の行事があるのか。昔は鹿や猪を弓で射て生贄にし、それを食をするのが「マナ箸」の神事だったのであろう。なお「マナ箸」を使って生贄を食べる前に、ここでは「屠人放」の神事がある。
男が女装して、子供の形をした藁人形を入れた桶を頭にのせて浜に行き「今年の屠人は目出度き屠人よ」と言って、藁人形の入った桶を海へ流す。この神事を人身御供の形を伝えているが、そのことは「屠人」と言う。「屠」は体をバラバラにして殺すことを言うから、本来は人であったものを人形にしたものであろう。この「屠人放」の後に、「マナ箸」の神事がある。このことから見て、「箸」は生贄に関ることが解かる。

これに似た伝承は外にもあり、太古からカニバイズムの伝承は根ずよくある。
私はこの根源的な課題を神武東征が整理されてから、本格的に考えてみようと保留していたのである。武田さんは寝た子を熾してくれた。ムズムズする。
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