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久米氏を追って、隼人の周辺を調べてゆくうち、太平洋側の海人族とニギハヤヒ命も調べなくてはならなくなり、天火明命に行き着く。
天火明命はニニギ命と兄弟(ニニギが弟である)である。
これは面白いことに、ニニギ命は南九州で一つの勢力を築き、天火明命はニギハヤヒ命と同族であり、天香具山命の祖であることを考えると、北九州系の豪族である。
そしてここに「播磨国風土記」に天火明のもう一つの側面を見出す。

「昔、大汝命の御子・火明命心行(こころわざわい)甚(はなはだ)強し。ここを以って父神、患(うれ)へまして、遁(のが)れ来むと欲(おもえ)ましき。即ち、因達(いだち)の神山に到り、その子をやりて、水を汲ましめ、未だ還(かえ)らぬさきに、即ち發船(ふなだち)し遁れ去りたまひき。ここに、火明命、水を汲み還りて、船の發(た)ち去(ゆ)くを見て大いに瞋怒(いか)る。よりて、波風を起こして、その船、追い迫りき。ここに父神の船、進み行くことを能(あた)わずして、遂に打ち破られき。この所以に、この所を船丘となずけ、波丘となずく」

これは景行天皇と日本タケルの説話を思い出し、なお、大汝命はスサノオウの末裔であることを思うと、新羅と金属技術の伝承者にまで考えが及ぶ。
すると、「秦(はた)・倭人(しとり)・沼方(ぬかた)・鳥取(ととり)・伊福部(いおきべ)氏」等も同族なのがその系譜として繋がってくる。非常に広く深いところで各種族は絡み合っていて私に好奇心と興味を湧かせる結果となった。
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