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神功皇后は熊襲征伐を神に占うと(武内宿禰に琴を弾かせ、中臣烏賊津使主に審神者<さにわ>をさせる)、住吉大神(津守氏の祖)は神託を降す。熊襲は不毛でだから宝の国・新羅を討てと、そうすれば自ずから熊襲は従うというのだ。
それは伊勢国の度会(わたらい)の五十鈴宮の神・撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(つきさかいつのみたまあまさかるむかいつひめ)と尾田の吾田節(あがたせつ)の淡郡(あわのこうり)にいる神、さらに天事代虚事代玉籤入彦厳之事代神(あめのことしろたまくしいりびこいつのことしろのかみ)がそれらの神であると言う。

これは、天孫の天照大神、南九州の土着神、大和の三輪の神ことであろう。その当時の神々の頂点が神託を告げたという訳である。
その意味は大和の合意で新羅を打てと言う政治的指針なのであったのかもしれない。そのために、神託に従わない仲哀天皇は暗殺されたと言う仮説も成り立つ。占いがそうさせたのだが、ここには見事に南九州政権・北九州政権と大和政権の縮図が描かれている。

私はこの事実がこの「古事記」や「日本書紀」の編集者達が、太古からの伝承や政治状況を正確に把握していたと思えてならない。それを成し得たのは「藤原不比等」をおいて語ることは出来ない。
彼は十代から、中臣鎌足の元をはなれ、百済の歴史学者・田辺史(ふひと)の元に預けられている。当然、田辺史は当時一流の学者で、中国の正史や四経はもとより、数々の重要な書物を学んだことは推察に難くない。勿論、百済人の学者・田辺史は朝鮮半島のあらゆる歴史書や思想書は不比等に講義していたはずである。

そして、「古事記」の太安麻呂は不比等の指示を受けていたはずで、この太氏(おおし)は当時の大歌所、つまり多くの巫女が管理していた「語り部」の総局の最高監督者であった。柿本人麻呂のその監督者の一人であったであろう。つまり、その大歌所では、太古からの「天(あま)語り」や「神語り」を伝承していたと思われる。
一方、海人族の語り部(多分、情報収集としての総局の長・塩土老爺)は各地の文化や政治情報を集めていたのは考えられることである。海人族は各地の古老の伝承を知る唯一の情報機関であったとも言える。そのことは藤原不比等は把握していたに違いないのだ。

私の推測が正しければ、不比等は倭の古来からの伝承も中国の重要な書物は熟知していたと考えて間違えはないと考える。
そこで気がつくのであるが、不比等の天皇を操縦する政治手段は古来からの先住民族が母系で皇族に取り入る方法を学んだのは間違いことであろう。
ニニギ命と神吾田鹿葦津姫(コノハナサクヤ姫)を娶るのは、先住民族の大山祇の政略であったのであろう。神武天皇の姫蹈鞴姫もまた三輪族の計らいである。これは古来からの伝承に起因している。その成功例であろう。
不比等はその事実を熟慮していたからこそ、自分で大和朝廷を武力攻略をすることもなく、事実上の天下を握ったのである。自分の娘を天皇に差し出し、天皇と継承者である皇太子を自分の手中に入れたと思われる。大変な策謀家である。

私なりの不比等像を述べてみようと思う。
見た目はそれ程美男子ではないだろう。どちらかと言うと、寡黙で繊細な神経の持ち主で、女性の考えていることが解かると、小まめに行動する。それでいて、相手に軽薄さを感じさせない誠実さが滲み出ている得な人格であろう。笑顔が爽やかで、感情の起伏が表面に出ない策謀家と言うのが私の不比等像である。

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