上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
太湖流域の馬家浜(ばかひん)遺跡(BC4000~3000年)からは稲や野生葛・麻の中国最古と言われる織物が出土します。そして、その後に現れたのが上海などに広がった新石器文化の良渚遺跡(BC3200~2200年)です。水稲耕作を行っていて、用具としては、鋤(すき)石包丁、石鎌、石はん、等多種多様な農具が含まれている。そして、彩文(さいもん)化したもの、美しい線刻文(せんこくもん)や透かし文様が施された土器は灰黒色で鼎(てい)壺(こ)、甕、杯、瓶、盤<大皿>、蒸し器、大臼を含め食生活の多様化が窺われる。
長い時間をかけて、使用目的に合わせて、精巧で効率の良い道具を仕上げているのは、それだけ豊かな稲作農業が行われていることになり、それに派生した手工業もまた分業化も進んでいることも理解できる。
当然、灌漑は工夫を凝らされており、水の処理にたけた良渚人(私は苗族だとおもっている)
は優れた灌漑技術を持っていた。それは又、築城技術に及んでいるのは言うまでもない。
良渚文明は巨大な基壇を造り、その周囲防御の環濠や柵、護壁を巡らした。「品」の字形に並ぶ基壇の上には、木造骨組みと煉瓦の壁の宮殿・神殿が聳え立ち、その屋根や柱は朱色や黒に色どられて入る。
これらは良渚文明が豊かな稲作による経済力と成熟度の高い宗教信仰が高度の首都計画を支えているが解る。
私は徐朝龍氏が指摘しているように、良渚文明が創り出した三つの神器、玉璧、玉宗(へんに王をつくる)、玉エツ、にみる複雑な思想表現は絵文字とも文字の源とも思われる。
それだけ、良渚文明と言うものは優れた文化を内臓した国家だと思われる。
スポンサーサイト
Secret

TrackBackURL
→http://nigihayahi91.blog65.fc2.com/tb.php/53-12bb9481
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。