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イザナギの神は様々な神を禊で生み、終盤で綿津見の神(安曇氏の祖)、筒男の神(住吉の神、津守氏の祖)を生み出し、最後に天照大神、スサノオウの命、月読命を生む。

その天照大神は、天忍穂耳命・天火明命を生む。これらの神は、北九州に鎮座まします神である。天忍穂耳は英彦山神社の祭神で、天火明(仮説ではあるが、ニギハヤヒ命がそれに当たる)は高良山の高良大社の祭神であろう。そして、天忍穂耳命の子が南九州と思われる天孫降臨を果たしたニニギ命である。
北九州の特徴は儒教的な文化で、長子相続であり、文身や鵜飼の習俗は少ない。一方、南九州は道教的、江南思想の影響が濃く、末子相続で海人的習俗の文身や鵜飼の習俗が濃厚である。
私は北九州が朝鮮半島の影響が強く、南九州は南島・江南の文化を持ち続けていると考えている。

「古事記」は序盤では、南九州を中心で神話を進めてゆく。
予てからの持論で、降臨したニニギ命は「襲・會(ソ)」から笠沙(野間半島)へと移動する。ニニギ命を祭る神社は川内市にある新田神社である。「襲・會」から野間半島へニニギの郡勢を先導したのが、天忍日命(大伴氏の祖)と天津久米命(久米直の祖)である。
私は「襲」を「會」に充てる。會の字は昔とも読むが、甑(こしき)の意味もあり、紀元前10000年に大隅(會の地)に存在した上野原遺跡には縄文草創期に定住がなされ、かなり高度の文化が形成されていた。蒸し器や堅果物の加工もされ、貯蔵・祭祀用の大甕が出土し、呪術用の耳飾、土偶さえ発見されている。高台にある住居は道路はあり、そのは排水溝にも応用され、泉にまで引かれていた。
そして、そこに特徴的な「甑」が出土している。それはどうやら、祭祀用に使用された形跡があることである。
私はその事実が偶然だとは思えない。「古事記」や「日本書紀」を編集した者たちは、古老の伝承や巫女の「天語り」や「神語り」の中で、「會」の状況を知っていたと考えている。
それは、所謂「襲」から「笠沙」へ移動したと言う伝承が、また、奇妙に「吾田姫」とをニニギが血縁していることである。この地はやはり、紀元前10000年のかこいノ原遺跡を顕現していて、海人族の中心的な地域でもある。つまり、そこからは、丸ノミ型石斧が出土していて、どうやらそれを使って丸木船を使用していた形跡があるのだ。なんという、神話と史実の符合であろう。

私は特に、「日本書紀」は藤原不比等が大きな役割を占めていたと考えるので、直さらその感が強い。
不比等は十代で父・藤原鎌足の元を離れ、百済の歴史学者の田辺史(たなべふひと)の元に預けられて
いる。当然、朝鮮の歴史書、思想書はさながら、中国の重要文献は読みこなしていたはずである。「史記」は元より「魏志倭人伝」はお手の物であったろう。その造詣の深さは「史記」をも見習い、故実の追求はなされていたと、考えるのが自然であろう。古老や巫女の伝承を基に地方の古い歴史はきちんと把握していたと認識する。

神話が南九州から始まるのは合目的であると思う。
天孫降臨は日向の高千穂の襲に降り立つ。私は「襲」を「會」にあてる。「古事記」に書かれた「熊會」の「會」に正当性があると考える。
「會」には昔の意味があるが、「甑」と言う意味もまたあるのだ。
紀元前一万年、會の地、大隅周辺に上野原遺跡が発掘されている。この遺跡はかなり高度な文化を示していて、高台に定住をしている。蒸し器や堅果物を粉にして大きな壺に蓄えている。土偶・祭祀用の大壺・耳飾なども出土し、道路は通行用に排水溝を兼ねていて、泉に導かれている。その特徴とも言える「甑」が出土していて、それが「會」の名称になったと思われる。
それはニニギ命が「會」から、「笠沙」へ移動すると言う神話に通じるのだが、「笠沙」はそこも紀元前一万年に出現したかこいノ原遺跡があり、丸ノミ式石斧が出土した。この石斧は丸木舟を製造したと思われて、大隅、種子島、トカラ諸島、沖縄にいたる海人文化圏を分布させている。
ニニギ命が笠沙で吾田姫と血縁していることは、単なる偶然とはいえないであろう。
そして、それを先導したのが、天忍日命(大伴氏の祖)と天津久米命(久米直の祖)である。久米氏は神武東征まで神武天皇の側近として活躍するが、それ以後は、衰退してしまう。定説によれば、久米氏は四世紀には衰退したとする。
その久米氏は上加世田遺跡に「久米」を刻んだ土器片が出て、そのまま立ち消えになっている。
滝川政次郎は江南から野間半島に上陸したのが、「隼人族」であるという。しかし、私は「隼人」は熊會の後裔と考えるので、滝川教授の言うように、北九州に江南から着くのが、安曇族だと唱える。つまり、南九州に漂着したのも、安曇氏だと考えます。
ただ、安曇氏は野間半島にはその名は存在していない。私は「今昔物語」の久米寺の件(くだり)で久米氏と安曇氏が共に仙人修行をして天に昇るという記述を見て、その両者は同族か親しい種族だと考える。つまり、久米氏は安曇氏と重なるといった仮説の成り立つ。また、その地で先住民族の隼人と血縁して隼人姓に吸収されたという説もなりたつ。












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