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個の確立と現実主義、西欧人はそれを大事にする。自我の確立とは一見、重要のような気がするが、自我の本質は本当は解決していない。つまり生命の起源と一体をなしていて、生命の起源は個の起源(原子の起源)が解決していないので解かっていない。それを西欧人は「神」へ依存する。「神」が決めたドグマ(教条)を受け容れる合理性から出発する。一見明快のような気がするが、フッサ~ルの言う現象学括弧であろう(解からないことまず、解からないままにする。・・・神に委ねる)。
だから、彼等は精神を明確にして迷いが生じない為に、現実を突破できる。

しかし、東洋人は(特に日本人)、その事実を自分に受け容れる。宇宙が混沌として曖昧なように曖昧のまま飲み込む、これは「色即是空」の精神である。中国の「気」の概念も同様のカテゴリである。
日本人の根底には縄文時代から続く多神教の精神が潜んでいるからだと思う。様々な「もの」には物にさえ(九十九・つくも)霊魂が宿る。

現在、西欧人の思想が優位に立っているが、その現状が争いを生み、貧富の差を生んでいる。「個」を強調する考えは私は間違っていると思う。自分の能力を発揮すれば、結果は自分のものであると言う考えは一見、正しいように思われるが、能力は究極、「神」のものであろう。それを自分のものとする錯誤乃至は制度は矛盾に満ちている。
日本人はそれを「和」と言う曖昧な、矛盾を含んだ思想でおし進む。だから、隣人愛が生まれてくる。隣人の幸福も望む寛容さが生まれる。進歩が大事なのではなく幸福感が大事なのである。
私はその哲学の方が優れていると考える。人も大事だが、森も大事なのだ。そう考えると、歩みは遅いがもう土は濃くなる。環境も目を配るようになる。
大事なのは物質的に富むことより、精神的な幸福感こそ大事なのだ。
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