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安本美典の「邪馬台国と出雲神話」を再読。読み落としていた箇所があった。

「母理の郷(さと)」の条で、比婆の久米神社に付いて書かれたところがあった。安本も久米の意味には注目してはいないが、ここにはイザナミ命のご稜が祀られていて、天照大神とスサノウ命との関わりを論じている。
だが、私はここに、久米の存在を注目したい。上加世田市の土器・「久米」の刻印がされたことや、「古事記」に書かれた天津久米命(久米直の祖)との関わりはどうなっているのか、と言う課題を問題にしたい。出雲と久米はどこで繋がっているのか。皆目、検討が付かない。例えば、物部氏の宇摩志麻遅命が出雲に流された伝承はそれなりに理解が行くし、正史にも書かれている。
初期、皇孫の系譜には久米氏や安曇氏の存在は重要な地位を占めている。しかし八世紀にはその勢力は完全に失われ、久米氏は大伴氏にとって変わられる。その後、久米氏はその勢力は失われ、端役として表舞台に顔を出すくらいである。

私は比婆の久米神社(熊野神社)を追求してみたいと思う。

因みに、久米氏の伝承で「今昔物語」にこのような記述がある。
「久米氏と安曇氏は仙人のなるために修行をする。直に安曇氏は免許皆伝し、天に昇る。留年の久米氏も一年後に受かり天に昇るが、天から地上を久米氏を見ると、若い女が川に入り白い脛を見て欲情して落下する。といったものである。

ここで注目するのは、久米氏と安曇氏が同族か親しい種族として書かれていることである。通説によれば、久米氏は南九州に居住しているのに、安曇氏は北九州を本願としていることである。「今昔物語」では両氏は親しい交情があったことが書かれているのだ。推察すれば、同族の可能性も考えられる。
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