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川添登はこう記述している。

出雲大社の建っている付近は、銅鐸文化圏の西端と言うよりは、銅矛・銅剣文化圏の東限に当たる。
そして、出雲大社のすぐ隣の命主神社(いにちぬしじんじゃ・出雲大社の摂社・祭神はスサノオウ)から、銅剣が翡翠の勾玉と共に出土している。
「命主社神器出現之記・佐草自清」は、神社の後には、大石の下から銅剣は発見されたと、記している。
出雲大社の付近から銅剣が発見されたと言うことは、この地が北九州の勢力化にあったと思われる。
「古事記」には出雲振根が北九州へ出向いていることから、出雲と北九州はかなりの交流があったことが窺われる。

先ず、命主神社の大石のしたから銅剣が出土したと」言うことは、この神社は古く、縄文時代の石神信仰の影響を受けていたと言える。そして、銅剣の存在は、出雲振根の筑紫出向とあわせて、北九州との交流をうかがわせる。
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