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大和岩雄の「太安万呂」について考えてみた。
当時、律令制度は地方行政の肥満化からその統制が利かなくなり、てこ入れを当時の宰相である藤原不比等はその強化を図り、それ程有力ではない太安万呂を民部省の長官に任命して、地方行政を強化していた。太安万呂はその行政能力に優れていたのだろう。その期待にこたえていた。強力な家系ではない「太」氏はそれを推敲するためには人の数倍の努力をしなければ成らなかっただろう。身を粉にして戦略を練り実行していったに違いない。

その情景を考えると、太安万呂が「古事記」の編纂に直接関与していたとは思われない。しかし、彼の系譜は大歌所の大歌師であるように「古事(ふるごと)」(天語り・神語り)の「誦謡者」であるように歌謡には長じた家系であった。そこには「天宇受売命」の後裔・猿女君の末である「稗田」氏とも親交があり旧事の知識は深い家柄であった。

そのことが「古事記」編纂の根拠であったと思われる。ここに私は不比等の天才を見る。ここからは私の推測ではあるが、地方豪族の統制に従事しながら、その家系や伝承までも把握していたのではないか。また、それを安万呂に指示していたのかもしれない。だからこそ、太安万呂を「古事記」編纂の選者にしたとの推察が成り立つ。

私は藤原不比等を類まれなある施政者だと認識しているので、その広範囲にわたる目配りは当然のこととして考えている。
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