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嘗て、全国占領軍被害者遺族連盟の運動をしている時、北村さんと言う長期信用金庫の戦後の引揚者預金凍結の預金回収の運動をしている時、私達も共闘を汲んだときがあった。この時私達も公安に付けねらわれていた。が、しかし、それだけでなく、戦後の負の遺産である様々な施策を当時、それらの事項を報道記事にしていた「赤旗」と「内外タイムス」から取材を受けていた。私は「内外タイムス」の記者内藤さんも又、公安におわれていた。それは彼が、「ロッキィド事件」に関わる二三の人間の不審死を追っていて、それが政治の主中枢に関わっていたので公安が動いていると語った。そこに当時裏で権力を握っていた謀右翼の秘書が又、「内外」の記事を妨害していたのだった。勿論、不審死に纏わる記事だった。それらが渾然として、私達も監視がついていたのであった。
「赤旗」の編集者と「内外」の内藤さんは共闘を組んでいて(この時、「内外タイムス」は謀右翼との新聞社乗っ取り裁判に勝ち、首にされた記者が復帰した時で内藤さんもその一人だった)、「赤旗」の編集者が内藤さんに対して「謀殺を気をつけろ」と忠告していた。
今、「内外」はエロ新聞だが、その時は記者に気概があって良い記事が多くあった。
戦後の様々な状況の中の一コマだが、私もそんな中で動いていたことを今、はっきりと思い出せる。ただ、私達は総勢四万人ほどの少数派なので、政治家は米国の圧力に屈していて、大手マスゴミは報道を控え、国民は無関心を装い結果として、私達の補償法制定運動は行き先の暗い暗礁に乗り上げ、方向を失って久しかった。
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