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ラジオで松島トモ子が重度障害者のメデイの差別意識に反抗して、池袋にある障害者の経営成功例を滔々と述べていた。この人は天然であまり知的とは言えない。

勿論、障害者が経営に成功するには並大抵の努力でないのは理解が出来る。そのことに異論はない。しかし、この会社は首になる従業員も多いという。それは障害者である社長の信念と言おうか怨念と言おうか「才能のない奴は辞めろ」だそうだ。
まあそのとうりなのだろうが、しかしこの才能を事業の手段としか考えない考え方には異論がある。この社長は猛烈社長で「秋葉原にあるメイド喫茶にたいな店」を経営していると言う。私はメイド喫茶を全否定をするわけではないが、それを媒介にして過度の経営で再生産する方法が行過ぎることにある。
「才能のない奴は首だ」と無慈悲に解雇するその精神は「悪」であると思う。
「才能」はこれほど曖昧な概念なくそのことを評価すれば、資本主義では個人的な「富」に還元される。

私の持論ではあるが、才能は本質的に「神」に属するもので、「個人」には還元してはならないのである。評価できるのはそこに投じられる「努力」なのである。
例えば、縄文時代はその富の分配はその対象に応じて配分される。幼児・成人、男・女その立場にあった仕事に従事する。才能はそれ程評価されていない。ごく当たり前の存在としてその最善を求められるのである。その成果とは関連を持たせない。いくら優れた仕事をしてもそれは部族のものでその個人のものではないのである。
未開の野蛮な状況だからそれが可能だと言われているが、本質的にはその論理は優れたものであることに違いがない。

その猛烈社長はそのことを履き違えている。儲けた収益は、例えば障害者施設の建設に当てるとか社会福祉に還元するはしていない個人の財産として蓄積されていると言う。
この事実は、私から言わせれば「この時代の悪」である。評価は出来ず、否、否定される存在である。

それを松島トモ子は滔々とその素晴らしさを語る。もう少し、物事を深く考えろと言いたい。

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