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苦労して読んだので、ほっとしているが、何せ大書である。それに引用が多岐にわたり、完全に理解したとは言いがたい。

大和岩雄の結論を記しておく。
「ふること」の語りは、女達が歌に加えて伝えてきた<語り>である。従って、その<語り>を「書ふみ」にした「原古事記」(712年頃)は日本最古の古典だが、天武朝の内廷でワニ氏・息長おきなが)氏・尾張氏などの后妃出自氏族と大海人皇子を養育した大海人アラカマや大海人皇子の湯沐令(ゆのうながし)であった多品治(おおのほむじ)など、壬生(みぶ・皇子を養育すること)に関わる人物が「原古事記」の成立に関与している。
「古事記」は文字以前から私達の祖先の伝えてきた「ふること古言」「かみこと神言」の語り、歌物語を「ふみ記」にした日本最古の古典で或いは、最終成立年代が平安初期(812~4)であっても{これを現存古事記となずけ、原古事記(712)を元本とする}、「古事記」としての価値は変わらない。

注・古事記には数種(多氏古事記や一古事記・あるこじき等)あるが、この場合,古来から巫女達によって語り(歌い)継がれてきた「原古事記」と様々な事情で812年頃編まれた「古事記」(これを大和氏は現存古事記と言う)がその頃の大歌所の大歌師(後宮・巫女の集まりの特殊部屋、その管理者が多氏・おおし,歌の補助者が柿本人麻呂です)であった多人長(おおひとなが)によって再度編纂されたと言う・・・・これが大和岩雄説です。
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