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若者の行動を見ていると、自分の視点からが強く感じられる。東北大震災に於けるボランテア精神は賞賛に値する。しかし一方で電車の中では老人であろうと妊婦、障害者が立ってても席を譲ろうとしないモラルの欠如もまた現実にある。そして、電車の中で子供が騒いでいても窘めもせず平然をしているし、靴を脱がさずに車外を見させて周りの人の迷惑を顧みない親が多すぎるのも事実である。

これらは個人の利益を優先するからであろう。自分が安泰なら他人はその次だと言う悪しき個人主義がそうさせているような気がする。敗戦後、様々な改革が施行された。米国はこういっている「十四歳の日本人にアングロサクソンの民主主義を教えてやる」と公言した。そのうちの一つが「教育」で徹底的に西欧個人主義を叩き込まれた。
我々の愚かな大衆主義は確かに弊害を齎した。帝国陸軍とマスゴミに踊らされて戦火への道へ突き進んだのは寄らば大樹の思考のある国民は愚かであったのだが、かといって、日本人が持っている「和」の精神は最悪ではないのだ。さかしい米国はそれを熟知しているがゆえに逆手にとって、「お上」に弱いと言う群集性を利用した。中流米国家庭を宣伝し、個人をことさら強調する教育を徹底した。そして一方、公共に反抗する若者のエネルギィを摘み取り、平和で大人しい人間像を要求したのだ。骨抜きになった若者は去勢され、所謂「オタク」たちを創り上げた。内向きな他人に興味を示さない良い子が完成したのだ。家庭は只管、その内向きな良い子を勉学にいそしませ、国は丸バツ制の知識優先の教育に偏重させた。

その結果が「他人」が意識の外にある自分本位の人間に育つと言うわけである。こんな世の中は権力を持った者どもの言いなりの世の中である。操られる世の中がこうして出来上がるのです。

教員が退職に際して、教育精神を選ばず、自らの経済的な安楽を選ぶ意識が蔓延るのは、自明なことなのだ。国の福祉政策がまやかしなのだから(私は年金が長期にわたる設計なのだと思っていたが実は国の施しなのだとは努々思わなかった)、教員が聖職も何も関係ないと考えても咎められるイワレないだろうと思う。そう言う思考の国民を創り上げてきたのだから、お役人が教師を非難するのは実は「天に唾」をはいているだけなのだ。

もう群集主義は止めにしよう。私達が意識して、本来継承してきた善き「和」の精神を復活させよう。
何も私は戦前の帝国主義に戻ろうと言っているのではなく、3・11の時に発揮した融和の精神を具現しよう説いているのだ。それを民主主義の原則に照らし合わせて考え直そうと言っているのである。
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